16歳でデビューを果たした、中森明菜さん。
歌手になりたかった、母千恵子さんの夢を引き継いで、明菜さんは、保母さんの夢を諦めて、歌手を目指したそうです。
幼いころから、感受性が豊かで、周りの喜ぶことを、先回りしてしてしまう、という性格だったそうですが、どんな環境で育っていったのでしょうか?
本日の記事では、そんな中森明菜さんの、家族との間柄について、調べてまとめてみました。
この記事を読めば、下記の内容について知ることが出来ます。
- 中森明菜さんの生い立ち
- 中森明菜さんと父、母、兄弟との確執
- 現在家族とは和解しているのか?
さらに、戸籍を抜いた理由を、ごしご独自の視点で考察しています。
それでは、どうぞ!
中森明菜の生い立ちとは?
1965年7月13日、東京都大田区に生まれ、清瀬市にて育ちました。
中森明菜さんは、6人兄弟の5番目として、生まれています。
父明男さんは当時、大田区大森で、精肉店をしていましたが、経営は順調ではなく、裕福ではなかったようです。
大田区の家は、風呂は無く、6畳一間。
「友達を呼べるような家ではなかった・・・」と明菜さんが話しています。
洋服はおさがりのみで、いつも、節約のためのキャベツ料理。
小学校と中学校では、朝食は無く学校に行っていたそうです。
幼かったころは兄弟と仲が良く、特に母親が大好きだった、中森明菜さん。
小学校1年生で、お母さんの夢がかなうように、「夢はなんですか?」という作文で、「歌手になりたい」と書いたそうです。
小さい頃から周りに気を使い、周囲のために、行動していた様子がうかがえますね。
芸能界を目指した理由
母千恵子さんは、歌手を目指して鹿児島から上京し、歌舞伎町のキャバレーで、ホステス兼歌い手として、働いていたそうです。
あこがれの歌手は美空ひばりさん。
しかし、働いていたキャバレーで、明男さんと出会い、21歳で結婚しました。
生活は、決して豊かではなかったが、夢をあきらめた母千恵子さんは、子供たちにピアノを買い、バレエを習わせました。
月謝を払うために、母千恵子さんは、電子ジャー(炊飯器)の訪問販売のアルバイトをしたようです。
明菜さんは、バレエを4歳から10年間休まず、通い続けたといいます。
明菜さんは、母にほめてもらいたい一心で、保母さんになる夢をあきらめ、アイドルを目指しました。
6歳の時、「お金を稼ぐことでみんなが喜んでくれるなら、私は何でもやろうと思った。タレントなら、お金を稼げるだろう」と思ったそう。
6歳にして、周りの状況、感じ取りすぎてはいませんかね。
大好きだった母親との関係
「明菜」という名前は、母千恵子さんが、命名しました。
「明るい菜の花で明菜」という意味でつけたそうです。
母千恵子さんはいつも、長いパイプで、タバコを吸っている人だったみたいです。
お酒を飲んで酔っ払うと、いつも母親は「明菜さえいなかったら」といって、泣いていたそう。
金銭面で、苦しかったからなのか、病気がちだったからなのか、どういう理由かは、わかりませんが、辛い!!
明菜さんは、お母さんから愛されたい一心で、兄弟が全員寝ているなか、仕事から夜中に帰ってくるお母さんを、玄関前で体育座りをして、ずっと待っていたそう。
すると、帰宅した母千恵子さんから、「明菜だけは私が帰ってくるのを、寝ないで待っていてくれる」といって、優しく抱きしめてくれたそうです。
そんな明菜さんはスターになってからも、母親が大好きだったようですね。
「このステージ衣装は私が決めたんだ」「このアルバムのはこういうことを考えたんだよ」など、褒めてもらいたくて、母千恵子さんに報告していたようです。
母千恵子さんも「よかったね。スゴイね」と返すと、明菜さんはとても笑顔になっていたみたいです。
税金対策として明菜さんは、母千恵子さんのカラオケスナックの開店資金、数千万円を援助しています。
そんな中、母親が所属事務所に顔を出し、「給料を前借したい」と言ってきた事を事務所から聞き、明菜さんは「家族が私のお金を使いこんでいる」と思うようになっていったようですね。
少しずつ亀裂が入っていきます。
1988年、母千恵子さんは、直腸がんが見つかり、闘病生活が始まります。
人気絶頂期の中森明菜さんは、なかなかお見舞いに行けなかったそうです。
次の年には、明菜さんは、近藤真彦さんとの破局し、自殺未遂で入院。
しかし、病室に訪れた両親が、明菜さんではなく、事務所側を心配し、入院生活の様子をマスコミに暴露したことで、明菜さんは「自分を金で売った」と思い込んでしまった、との報道がありました。
明菜さんは、亡くなる前日に、お見舞いに訪れた後、通夜にも葬式にも、現れなかったといいます。
1995年6月10日に、母親が亡くなってから現在まで28年程は、家族と絶縁状態になっているそうです。
トップスター中森明菜と父親の関係
2年連続で、レコード大賞を受賞した翌年に、中森明菜さんは、税金対策として、ビルを建てています。
埼玉県にあり、土地は代々、中森家のもので、建設費用1億円を明菜さんが支払い、1階は父親の中華料理店、2階からは賃貸マンションとしたようです。
ビルの名前は「大明華ビル」
父親の中華料理店、兄のカレーショップ、姉夫婦のレストランが入っており、親孝行ビルと言われていました。
しかし、2年もたたずに、兄と姉の店は閉店。
家族のためにハワイにも別荘を買っており、その額は相当だと予測できます。
明菜さんは、多額の経済支援をしていただけに、大変ショックを受けたといいます。
ハードなスケジュールなのに、手元に残るお金が少なく、疑心暗鬼になっていったそう。
明菜さんは、2004年に、埼玉のビルを、土地ごと売却しています。
父親の店も、閉店したそうです。
ビルが完成するまで、父親は大田区で、精肉店を営んでおり、自宅が清瀬市にありながら、泊まり込みで、商売をしていたんだそう。
つまるところ、父親は、母親と兄弟とは、実質的に別居状態にあったということですね。
明菜さんが生まれたのは大田区ですが、すぐに清瀬市に引っ越しているため、明菜さんは、父親とはほとんど一緒に暮らしていなかった、と思われます。
また、女性関係でも、問題を起こしていたとの噂もあります。
このような状況では、「身近にいる、頼りになる父親」とは思えない気はしますよね。
週刊誌にネタを売ってお金にしていた?
週刊誌の、明菜さんに関する記事には、よく父明男さんの発言が、載っています。
母千恵子さんに関する記事では、主に入院や葬式に関しての発言でした。
2014年 父明男さんのインタビュー
「たしかに、あの子は“お母ちゃん命”でしたからね……。病院にも何回も見舞いに行っていたから(以下省略)」”
女性自身より引用
2016年 父明男さんのインタビュー
「お母ちゃんががんで亡くなる前に入院していたときも、明菜は一度も見舞いに来なかったんです。(省略)末期がんに苦しみながら、お母ちゃんは『明菜は薄情だ』って涙をこぼしていました。お母ちゃんのお通夜のときもあの子は来るだけは来たけれど、すぐに帰っちゃって……」
週刊女性プライムより引用
2022年 3つ上の実兄のインタビュー
「通夜も葬儀も来ませんでした。明菜の1つ上の姉が電話したときには“お母ちゃんの遺体を見たくない”と話していたと聞いています」
週刊女性プライムより引用
母千恵子さんのお見舞いに来たかどうかは、180度違うことを発言。
さらに明菜さんが、お通夜に来たのかも、明菜さんの兄との証言が食い違っています。
その他にも、「マッチはよく明菜と実家(清瀬市)に来ていた」「絶縁状態が続いている」など、明菜さん本人からしてみたら、話してほしくないような、あまり良い気持ちがしないような記事がたくさんあります。
中森明菜が戸籍を抜いた理由
「おかねをせびったことは一度もないですから」と、週刊誌に何度も発言している明男さん。
しかし、母千恵子さんのスナックの開店資金、ビル建設費用、ハワイの別荘、中華料理店の資金など、明菜さんの稼いだお金が、家族にわたっているのは事実。
そうなると、取り方によっては「明菜が勝手にお金をつぎ込んでいるのだから」と聞こえてもおかしくなさそうですよね。
家族が働かなくなった、明菜さんの所属事務所に、お金を無心に来ていた、などという噂もあります。
明菜さん本人は、所属事務所のスタッフから、「清瀬にお金がいっぱい行って大変なんだよ」と言われて、家族にお金が渡っていることを、知ったそうです。
また、お金の件以外にもこんなことがありました。
「実は、明菜の母親の葬儀以来、明菜と私たち家族は今日までずっと音信不通で、一度も会えていないんです」
10月中旬、本誌にかかってきた1本の電話ーー。中森明菜(48)の“親族”と名乗るこの女性は、明菜が家族と“絶縁状態”にあるという衝撃の事実を明かした。
女性自身より引用
2013年の記事です。
この時期、明菜さんは病気療養中。
「親族の方から、週刊誌に対して、わざわざ情報を売ってきた」ということですかね。
お金を受け取っているかは、定かではありませんが、その後女性自身は父親に取材を要請しています。
明菜さんが、親族を信用できなくなるのも、うなずける気がします。
中森明菜の母の遺言
母千恵子さんは生前、「中森家ではなく、父親の眠る、実家の墓に入りたい」と言い出したそうです。
母千恵子さんは、言い出したら聞かない性格で、家族会議で「お母ちゃんらしくていいんじゃない」という結論になり、母親の実家の墓に、入っているといいます。
嫁いだ先のお墓ではなく、実家のお墓に入りたい気持ちは理解できます。
しかし、娘の明菜さんからの視点だと、最後の最後に「中森家を捨てた」と感じてしまうかもしれませんよね。
事務所スタッフから、母が亡くなる直前に、「戸籍を抜きたい」と申し入れがあったそう。
父親は、「そんなことはできない」と突っぱねたようですが、明菜さんは、戸籍を分籍したそうです。
後日、実家にある明菜さんの荷物すべてを、事務所関係者が引き上げていったとか。
「事務所関係者が荷物を引き上げる」とか、家族との溝が深すぎますよね。
分籍しても、親子関係は変わらないのですが、明菜さんの家族に対しての、堅い意思表示だと、とらえる方が、多いのではないでしょうか?
中森明菜のきょうだいとの関係
中森さんが、小さい時のエピソードです。
家族が「出掛けよう」、というときに、明菜さんは病弱で、よくお出かけが中止になったことがあったそう。
「生まれてこなきゃよかった、って何度も思いました」
「たとえばね、お姉ちゃんたちが学校から早く帰ってきてくれて、枕元で『明菜かわいそう、かわいそう』って、頭を撫でてくれる。でもそれも、あまりたび重なると、『かわいそう』って言いながら、どこかでイヤんなっちゃうなあって思ってる気持ちが見えるの
「私なんていきてていいんですかぁ?ってそういう風に思えて・・」
中森明菜「心の履歴書」不器用だからいつもひとりぼっち」のあらすじと読書感想文より引用
と、敏感に周囲の感情を、読み取ってしまうようです。
一つ下の妹で元女優の中森秋穂との出来事
1987年にデビューした中森明穂さん。
初仕事は、ラジオパーソナリティーでした。
ドラマにも出演した明穂さんでしたが、明菜さんに相談もなく、下着での写真集を発売。
さらに、ヌードがあるビデオにも出演したことから、明菜さんが大激怒し、二人の仲は険悪になったそう。
明菜さんが大物だっただけに、周囲の目は厳しく、わずか1年と数か月の活動で芸能界を引退。
明菜さんとの関係は、修復できずに、2019年5月27日に、肝硬変のため亡くなられています。
明菜さんは、明穂さんの葬儀にも出席していなかったそうです。
中森明菜は家族と和解しているのか?
母千恵子さんが亡くなる前の年、明菜さんから母千恵子さんに、連絡を取るようになり、母千恵子さんとは、和解したという報道があります。
葬儀に出なかったのは、亡くなる当日、フジテレビの「音楽旅行」という番組の収録のため、成田からフランスへ出国しており、家族と連絡を取り合うことが、難しかったと思われます。
「行かなかった」のではなく、「行けなかった」ようです。
その他の親族とは、「和解している」という記事は一切なく、いまだに絶縁状態が続いていると思われます。
2022年の週刊誌情報では、父親は認知症を患い、介護付き老人ホームに入居予定だとか。
サポートがないと、生活できない状況だと実兄が、インタビューで答えています。
実兄が語った、週刊誌報道も実に多く、情報を売るためなのか、明菜さんに、風の噂で伝えたいのか、真相はわかりません。
しかし、明菜さん本人と、連絡が取れている状態であれば、一般人である家族について、週刊誌に話す必要などないのでは?と思ってしまいますよね。
中森明菜に夫はいるのか?の記事も書いています。是非ご覧ください。↓
中森明菜の家族まとめ
沢山のファンが復帰を待ち望んでいる、人気者の中森明菜さん。
近藤真彦さんとの件で、自殺未遂をした際、両親が、明菜さんではなく所属事務所を気遣い、入院生活を週刊誌に暴露したことから、両親から気持ちが離れていった様子。
父親とは、幼いころから別居状態にあり、父親に女性関係の問題もあったそうです。
「お金をせびったことは一度もない」と父親は発言しているが、明菜さんが稼いだ多額のお金が、家族に流れていたことは、事実のよう。
お金の問題と、大好きだった母親が、中森家の墓ではなく、実家の墓に入りたい、と希望していたこともあってか、戸籍を分籍しています。
1つ年下の、元女優の明穂さんとは、明菜さんに相談もなく、下着写真や、ヌードビデオに出演したことがきっかけで、絶縁状態になったそうです。
母千恵子さんと明穂さんが、亡くなっていますが、どちらの葬儀にも出ていないようですね。
大事なのは、いま、中森明菜さんに、本当に信じられる人が居て、傍にいてくれたらいいなぁと、心から願っています。
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