1983年にデビューし、翌年から紅白歌合戦に連続9年出演するなど、爆発的な人気を誇ったチェッカーズ。
12年の活動後、惜しまれながら1992年の紅白歌合戦を最後に解散しました。
発表から2か月後の解散という、ファンからしたら急すぎる話でした。
いったい何故、急に解散という事になったのでしょうか?
調べていくと、解散の原因になったことは、いくつかあったようです。
本日の記事では、チェッカーズの解散理由について、調べてまとめてみました。
この記事を読めば、下記の内容について知ることが出来ます。
- チェッカーズの解散理由4選
- 解散はフミヤが言い出した
- 暴露本「チェッカーズ」
- フミヤと高杢の関係とは?
さらに、メンバーの現在も調べてみました。
それでは、どうぞ!
チェッカーズ解散理由
そもそも、解散を言い出したのは藤井フミヤさんだそうです。
自分だけの「脱退」ではなく、「解散」という言葉を使った理由は何だったのでしょうか?
見ていきましょう!
①ソロ活動の影響
チェッカーズデビューから4年後。
フミヤさんの弟である直之さんが1987年10月にソロデビューを果たすと、メンバーそれぞれがソロ活動を始めていきます。
全曲メンバーオリジナル曲のアルバム「GO」が出た頃ですね!
しかし、フミヤさんは、CM出演の際の曲「Mother’s Touch」がソロシングルとして発売されましたが、テレビ番組などには出演を断っていたそうです。
それぞれ自分の個性が出せるのが、ソロ活動ですよね。
個々でのアーディスト性が高まると、グループでの食い違いも出てきそうですね。
また、7人いるメンバーが予定を合わせて収録する事も、段々と難しくなったなんて噂もあります。
解散3年後の、1995年8月号の「BRIDGE」、藤井フミヤ10万字インタヴューを探ってみました。
売れた後、ソロ活動をするけれど、「集まるとチェッカーズ」という所がいい所と思っていたそうです。
しかし、数年経っていくうちに、変化が・・・
メンバーそれぞれ、全然ばらばらの事を考えている。
遊ぶ場所、遊ぶ友達、騒ぎ方も一緒だったのに、場所も違う、友達も違う、打ち上げもやらない、そんな風になっていたそうです。
フミヤさんは、そろそろ「チェッカーズ」という枠を外した方がいいんじゃないかと思い始めたそうです。
②音楽性・価値観の違い
デビュー当時から、チェッカーズの作曲やプロデュースを手掛けていたのは、作曲家の芹澤廣明さんでした。
芹澤さんは、中森明菜さんの「少女A」や、テレビアニメ「タッチ」の主題歌を手掛けている、実力のある作曲家。
実際チェッカーズの最初の3年間で36曲も楽曲を提供した、大恩人でした。
ところが、1986年、「Song for U.S.A」以降絶縁状態となります。
理由は、フミヤさんの一言でした。
芹澤さんの歌はもう歌いたくない
僕にしたら仕事を頼まれただけでそんなことを言われる筋合いはない!
以降、作詞はフミヤさんが手掛け、作曲を藤井尚之さん、鶴久政治さん、大土井裕二さんが主に手掛けています。
これに激怒したのは、芹澤さんを尊敬していた高杢禎彦さん。
後の暴露本である「チェッカーズ」では、フミヤさんについてこう書かれています。
「オリジナル曲ばかりになったのは、印税の為」「金の為なら(芹澤さんに対する)恩も売る」
芹澤さん作曲の、デビュー曲についてのエピソードがこちら。
「ギザギザハート―」はメンバー人気は決して高くなかったという。鶴久:「僕ら、でもこのデビュー曲大嫌いだったんですよ。これをもらった時に(藤井)フミヤさんが“これって演歌ですか?”って言ったの」と告白。するとプロデューサーは「我慢して歌え。でも、売れたら好きなこと何でもやっていいから」と激励してくれたといい、鶴久は「プロの人の仕掛けというか(すごい)」と驚いていた。”
スポニチより引用
メンバーは「売れたい」という一心から、アイドル路線を受け入れ、チェック柄を受け入れ、好きではなかった曲も歌ってきたみたいです。
デビューから3年経って、メジャーになったので「自分たちの曲を歌いたい」という意味だったんじゃないかと、世間の皆様は思ったのではないでしょうか。
リーダーの武内さんは後に「周りの言いなりになっていたら、ダメになる」という危機感があった、とYouTubeで語っています。
②所得格差
当時の収入は、全員平等の基本給があり、作詞作曲の印税やソロ活動の収入は個人に入るシステムだったそうです。
2018年8月30日放送「じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~」に出演した高杢さんが、収入面を暴露していました。
高杢さんも、一時期は約1100万円を納税していたといいます。
人気絶頂期には、長者番付にメンバーの名前が連なったそうです。
しかし、作曲や作詞が出来る人と出来ない人では、格差が開いたと予想されますね。
オリジナル曲への移行は、作詞作曲も、楽器もやらない高杢さんの収入に関する不安を煽った要因だったようです。
③結婚による価値観の変化
1990年6月のフミヤさんの結婚から始まり、メンバー7人中、4人の結婚がありました。
結婚や子供の誕生で、仕事への意識が変化することはよくあることですね。
フミヤさんを例に挙げてみますね。
高杢さんの著書によると、結婚した翌年に、嫁さんと海外へ旅行するために長期休暇を取って、チェッカーズを休業にしたとあります。
実際3か月ほど、休暇を取ったそうです。
しかし、「家族が1番、仕事が2番」を公言し、常に実行している愛妻家のフミヤさん。
新婚旅行くらい行くだろう、なんてごしこは思いますが・・・
結婚する事で、仕事への優先順位もそうですが、曲に対する価値観なども変化があった可能性がありますね。
フミヤの解散発言後に深まる溝
高杢さんの著書から解ることとして、海外旅行から帰国した数か月後に、フミヤさんから解散の話が出たそうです。
俺は、チェッカーズを解散したい
実はフミヤさん、1990年夏頃からすでになんとなく「バラバラ感」を感じていたようです。
高杢さんは、「解散して、芸能界で食っていける奴なんかいないんだよ!」という理由で猛反対したそうです。
尚之さん、武内さん、大土井さんは、「フミヤがいなければ解散でも仕方がない」という考え。
高杢さんは諦めず、残る3人でのチェッカーズのバンド構成を考えていたそうです。
事務所の社長も入り、個々に意見を求めた際、鶴久さんと徳永さんも、「解散するしかないのかなぁ」と発言。
社長に、「1人じゃチェッカーズ出来ねえだろう?違うか?」と言われ、高杢さんも了承したそうです。
1992年秋に解散が報じられ、12月28日の日本武道館でツアーが終了。
NHK紅白歌合戦を最後に解散しました。
高杢の暴露本で深まる溝
高杢さんとフミヤさんの不仲が大きな理由、とする見方があります。
解散から約10年後の2003年6月に出版された高杢さんの本「チェッカーズ」を探ってみました。
暴露本の前半は、高杢さんの胃がん闘病生活の事で、後半は主にフミヤさんへの批判でした。
2021年5月11日の週刊女性プライムでは、暴露本より15年前の音楽雑誌でのフミヤさんの発言を取り上げています。
ペンの暴力って、人の将来を変えるでしょ。1か月くらいで治るなら、俺刺された方がいいもん。
フミヤさんも高杢さんも、幼馴染でヤンキー上がり。
「ペンの暴力」に出た高杢さんは、ヤンキーの流儀に反しており、フミヤさんは同じ土俵に上がりたくなかったのでは?という記事でした。
フミヤさんは、暴露本の出版には怒っていたハズ。
しかし、2003年の福岡でのライブでフミヤさんからファンに、「高杢から見た真実なんだよ。仕方ないんだよ」と静観されていました。
メンバーの死で深まる溝
暴露本出版から1年後の2004年8月17日、クロベエこと徳永善也さんが、舌癌で亡くなりました。
「徳永善也さんを送る会」の発起人は、フミヤさんを含めた5人で行い、高杢さんと鶴久さんはハジかれてしまったそうです。
その理由については2つの説があるようです。
理由①いろいろ泥沼確執説
当然高杢さんは、暴露本の影響があったのでしょう。
さらに、高杢さんの著書の中で「今付き合いがあるのは鶴久さんだけだ」と書かれており、亡くなった徳永さんとは疎遠になっていたことが分かります。
チェッカーズ所属事務所社長から、高額ギャラを要求するフミヤさんを独立させるよう言われ、高杢さんと鶴久さんが承諾したという噂も・・・
鶴久さんも、チェッカーズの曲の作曲料について、フミヤさんとトラブルがあったそうです。
鶴久さんは自身のライブ会場で、徳永さんの容体を聞いてきたファンに対して、「死ぬんじゃないの?」と答え、徳永さんサイドが一切の見舞いも断っていたとか。
理由②活動中だった仲間と説
チェッカーズの「クロベエ」ではなく、当時活動していた音楽仲間で送る、という形をとっていたからという説もあります。
博多時代から親交がある隈富太郎さん率いるバンド「WILD‐G」で活動していた徳永さん。
並行して、チェッカーズ楽器陣(徳永、武内、大土井、尚之)で構成される「アブラーズ」でも活動していました。
「アブラーズ」では、フミヤさんも参加したり、見に行くなど交流があったようです。
よって隈さん、フミヤさん、他3名の、計5人での発起人になったとも言われています。
送る会後の記者会見
発起人の記者会見で、フミヤさんは暴露本について聞かれ・・・
本自体はデタラメな本だから読まない方がいいよ、ってみんなに言われたので、僕は読んでいないし、ここにいるメンバーも読んでいないと思う。溝にならないと言ったら嘘になる
と発言し、高杢さんは激怒。
名誉棄損と営業妨害で訴えることも考えたそうです。
闘病にかかる費用の為か、本の売り上げを妨害したことが先に立っていることがうかがえますね。
本の帯の表現も、闘病ではなく、主に暴露しているという宣伝が目立つ帯でした。
出版サイドの意向もあるかとは思いますが・・・
記者会見後も高杢さんと鶴久さんはワイドショーなどで怒りをぶちまけ、当時有名な騒動に発展していました。
当時相当な騒ぎになっていたのですが、フミヤさんがアクションを起こさなかった事で、事態は最小限に留められた感じはしますよね。
フミヤと高杢の関係
一番解散を嫌がったのは高杢さんでした。
しかし、解散後の暴露本では、相当フミヤさんを悪者扱いしています。
フミヤさんだけを非難する理由はなんなのでしょうか?
チェッカーズ前
フミヤさんと尚之さんと高杢さんは、保育園からの幼馴染で、中学校まで一緒。
保育園の時から高杢さんは、ドラえもんでいう「ジャイアン」で、力で友達をねじ伏せるような子供だったそうです。
高杢さん曰く、小学校6年生までは、腕力で人を従えて、フミヤさんは高杢さんの後ろに「ひっついていた」とか。
高杢さんは小学校時代、野球でピッチャー4番を務めていたが、フミヤさんは野球が全然ダメ。
中学に上がると、ロックバンド「キャロル」のファンにもなった高杢さん。
フミヤは、可愛い顔して、俺という鏡があったからかわからないが、キャロルに憧れ始めていた。
と、著書の回想部分は、こんな感じで進められていきます。
高校時代の高杢さんは、暴走族とは少し距離を置き、野球もやめ、道を探っていたみたいです。
一方フミヤさんが高校時代に組んだバンド「カルコーク」は、200から300人のキャパの会場を満席にしていたそうです。
観客として見に行った高杢さんは、嫉妬心を超えて、羨望のまなざしだったとか。
高杢さんは、「絶対にあのステージにフミヤと一緒に上がるんだ」と誓ったそうです。
2人の立場の変化が感じられますね!
チェッカーズ中
「カルコーク」と同じライブで出演していた「シェイク」のリーダー武内亨の誘いで、フミヤさんが新しいバンドを作ろうとしていた時でした。
「入れてくれ!そのバンド!」といって、半ば強引に練習に参加した高杢さん。
武内さんに、「なんか歌ってみ?」と言われて歌うが、不満顔をされ、2度目には納得され、合格したそうです。
フミヤさんを舎弟のように扱っていた高杢さんですが、ようやくチェッカーズの一員にしてもらい、同じ土俵にあがりました。
しかし、フミヤさんは「光輝く神輿」で、高杢さんは担ぐ側。
人気の格差、所得の格差、扱いの格差が段々と開いていった可能性は高いでしょうね。
地元の一部の先輩の中では、「フミヤの〇生虫」なんて囁かれていたという噂まであります。
著書「チェッカーズ」の中では、バスボーカルだけの高杢さんが落ち込んで、辞めようとした時期もあったそうです。
フミヤさんに引き留められた高杢さんは、気持ちが「一生チェッカーズ!」となったそうです。
なので高杢さんとしては、フミヤさんからの「解散したい」はショックが大きかったのでしょう。
つまるところ、高杢さんはフミヤさんが大好き過ぎたのでは?と思ってしまいますね!
解散の時も、徳永さんを送る会の発起人を外された時も、フミヤさんからの拒絶に感じてしまったのかもしれません。
メンバーの現在
高杢さんの、解散反対の理由は、「解散して、芸能界で食っていける奴なんかいないんだよ」でした。
結果、メンバーの現在はどうなっているのでしょうか?
早速見ていきましょう。
藤井フミヤ(フミヤ)
解散後のソロ活動は成功しており、「True Love」など、数々の名曲を世に出しました。
「FUMIYART(フミヤート)」というアートの個展の開催、楽曲提供、ドラマ出演など、幅広く活躍。
1997年には、弟の尚之さんと「F-BLOOD」を結成し、ライブ活動や楽曲リリースなどを行っています。
2019年には自身のYouTubeチャンネルを開設。
2022年7月11日には、還暦を迎え、還暦を祝うコンサートでは、チェッカーズ時代の曲も披露しています。
武内亨(トオル)
解散後は、プロデュース分野に進出。
2003年にはチェッカーズの楽器陣(武内・尚之・大土井・徳永)で「アブラーズ」を再結成しています。
翌年にはメンバーの徳永さんが亡くなってしまいますが、現在も活動を続けていますね。
どのメンバーが作っても、作曲作詞の名義はすべて「アブラーズ」になっているそうです。
印税の格差はなく、全員が「自分の曲」という認識があり、武内さんは、「曲の純度が上がった」とYouTube上で話しています。
アブラーズのライブでは、ものすごく近くでメンバーを見れるそうです。
物販の対応は、大土井さんと直之さんが対応したり、武内さんはマイクを持って盛り上げ役をしているみたいです。
昔からのファンからは、「昔は雲の上にいたけれど、今は一緒に生きている感があって、応援しがいがある」と言われるそうですよ。
非常に今幸せ。辞める理由が無い
高杢禎彦(モク)
高杢さんは解散後、チェッカーズ時代からの俳優業や音楽のソロ活動を続けていました。
2002年に胃がんが見つかり、同年11月に8時間にも及ぶ手術を経験。
芸能界に復帰した高杢さんは、闘病をテーマにした講演会などを開いていました。
2019年には、株式会社ケイソーの全面支援で軽貨物運送事業に乗り出したようですが、事業をしているのかは不明です。
Xの投稿では、「問い合わせメールをしたが、一向に返事が無い」というツイートがありました。
高杢さんの個人事務所が業務を委託されているという話ですが、個人事務所HPの運送業のリンクは現在切れているようです。
現在は埼玉県にある奥さんの実家の旅館「宿処いろは」を、共同経営者として手伝っているそうですよ!
大土井裕二(ユウジ)
チェッカーズ解散後は、俳優業やバンド「seamus」で活動。
2003年からは武内さんと共に「アブラーズ」でベースを弾いています。
2021年には自身のアパレルブランド「YUJI ODOI」を展開し、大人のデイリーアイテムを販売しているようです。
2023年4月には、体調を崩し緊急入院をされましたが、病名は公表していません。
コメントでは、「今までの疲れも出てくるような年になったのでしょう」と話し、デビュー40周年を迎えるので頑張っていきたいとしていました。
鶴久政治(マサハル)
解散後、鶴久さんはソロ歌手、タレント、楽曲提供などで活動をしています。
なかでも2022年のSTU48への楽曲提供「花は誰のもの?」は累計出荷枚数44万枚を記録。
数か月にわたり、有線チャートの上位をキープする、ロングヒットになりました。
チェッカーズのメンバーで作った曲の半分ほどは鶴久さんが作曲していて、現在までも印税が入り続けているので、生活はとても安定しているとみていいでしょう。
私生活では1991年5月に一般女性と結婚し、その後男の子が生まれています。
徳永善也(クロベエ)
解散後の1993年に、ロックバンド「Little Bach」を結成。
デビュー曲の「眠れぬ美女」はテレビドラマ「指輪」の主題歌になりました。
しかしメインボーカルの脱退により、活動はままならず、1998年に解散。
一時期は大型トラックの運転手などをしていたそうです。
2002年に徳永さんは、博多時代から親交のあった隈富太郎さんがきっかけで、バンド「WILD-G」に加入し、音楽活動をされていました。
翌年には並行して「アブラーズ」を再結成しますが、舌癌を患い入退院を繰り返すように・・・
2004年8月17日、帰らぬ人となりました。
生涯独身で、享年40歳でした。
藤井尚之(ナオユキ)
解散後尚之さんは、ソロに転向し、楽曲提供や俳優業もされています。
1997年には兄のフミヤさんと音楽ユニット「F-BLOOD」を結成し、2003年には「アブラーズ」を結成しています。
F-BLOODの活動では、「朝だ!生です旅サラダ」のエンディングテーマを、何曲も担当していますね!
私生活では、2005年の1月に、12歳年下の一般女性と結婚され、2010年には女の子が生まれています。
再結成はあるのか?
チェッカーズの再結成は、限りなく0に近いようです。
「チェッカーズはクロベエが亡くなったことで、永遠に復活しないんですよ。だって、ドラムは誰がやるんですか? 彼が生きていたら可能性もあったかもしれませんが、それはないです。リーダーのオレ(武内亨)が言うんですから間違いありません」
Livedoor newsより引用
1995年8月号の「BRIDGE」藤井フミヤ10万字インタヴューの中での、フミヤさんの発言です。
「もう1人でも抜けたらもうヤメだよな、という事は前から言っていた」
このインタビューは、暴露本の前、徳永さんの亡くなる前です。
インタビューを読んでいると、単なる音楽団体というよりも、運命共同体とか、家族みたいなつながりが見えてきました。
再結成には単純に「ドラムが叩ける人がいればいい」のではないのでしょうね。
フミヤさんと高杢さんの関係が修復されたという話もなく、高杢さんは現在音楽にも携わっていなさそうですしね・・・
残念で仕方がありません。
藤井フミヤさんの嫁に関しての記事も書いています。是非ご覧ください↓
チェッカーズの解散理由まとめ
7人のチェッカーズのメンバーは、18歳から22歳位でデビューし、12年間、チェッカーズとして活動をしてきました。
ソロ活動で新しい自分を発見したり、仲間との収入の格差を体験したり、結婚、子供の誕生で価値観が変わったり・・・
成長した7人の、違う考え方のぶつかり合いで、衝突が起きたのかもしれませんね。
しかし、チェッカーズ時代は7人全員の心の中で、特別な時間だったに違いありません!
ごしこは「チェッカーズ」が大好きですので、これからも名曲を聴き続けます!
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