現在では、実力派俳優として有名な堺雅人さん。
特にTBSドラマ「半沢直樹」では、巷の話題になったことは間違いないでしょうね!
そんな堺雅人さんですが、実は下積み時代が長かったことはご存じでしょうか。
ブレイクする前はどんな生活をしていたのでしょうか?
「イケメンだった」という噂は本当でしょうか?
本日の記事では、堺雅人さんの若い頃を調べてまとめてみました。
この記事を読めば、下記の内容について知ることができます。
- 高校大学時代のエピソード
- 俳優を目指したきっかけ
- 無名時代の貧乏っぷり
- 堺雅人の性格4選
さらに、堺雅人さんの生い立ちと現在についても調べています。
それでは、どうぞ!
堺が芝居に出会った高校時代
堺さんは、宮崎南高等学校1年生の時に芝居に出会いました。
部活を選ぶ時に迷った堺さん。
運動が得意ではなかったのと、顧問の先生と先輩が威張っていなかったのがきっかけで、演劇部を選んだそうです。
堺さんが入部した当初、先輩1人と堺さんだけだったのが、部員が15人から20人に増えていったそうです。
この画像は、高校時代パントマイムをした時の画像ですが、ハーレムですね!
入部殺到には、ある理由が・・・
入学直後に行われた勉強合宿で風呂場にシャンプーを忘れてしまった堺さん。
風呂場にシャンプーを忘れていったのは誰ですか。出てきなさい!
このエッセンシャルシャンプーを風呂場に忘れたのは私、堺雅人です!
と堂々と商品名まで上げて宣言したことが、同級生のツボにハマったそうです。
それから1か月ほど女子からモテまくり、堺さんの使った120円のペンが300円で売れたエピソードもあるほど。
高校時代から独特な雰囲気が、周りの友人を魅了していたのですね。
2年生の時には、堺さんが書いた脚本で、九州高校演劇コンクールで創作脚本賞を受賞。
3年生では、つかこうへいさん原作の「飛龍電」を演じているそうです。
堺さんは、演じる才能も、脚本家、演出家としての才能も備わっていたという事になりますね!
高校時代にはまだ、俳優になるという気持ちはなく、「国立大学を出て通産省の官僚になる」のが夢だった堺さん。
こんなイケメン官僚がいたらモテモテでしょうね。
しかし、数学が苦手だったため、国立大学にことごとく落ちてしまい、早稲田大学に進学する事となりました。
早稲田大学を受験した理由は、記念受験だったと2023年7月の「日曜日の初耳学」で堺さんが話しています。
堺は早稲田のプリンス
1992年、故郷宮崎県から上京した堺さん。
早稲田大学第一文学部中国文学専修に入学されました。
入学から2年間は、市ヶ谷にある家賃1万7千円の学生寮で生活をしていたそうです。
劇団「東京オレンジ」
官僚の道を諦めた時、初めて「俳優になろう」と考えた堺さん。
高校時代から演じる事に心躍る楽しさを感じていたのでしょうね。
劇研に入る以上は半端な気持ちでやりたくないと思っていましたから、ゆくゆくは大学を中退することになり、親からの仕送りもなくなると確信していました。経済的に孤立した状態で、細々とバイトで食いつなぎ、一生定収入が見込めないイヤ〜な大人になるんだろうな、と(笑)。そこまでシミュレーションしながら、出家するような気持で入りました〉(『文・堺雅人』より)
週刊現代より引用
1か月ほど悩んだ末に、演劇研究会に入った堺さんは、授業よりも稽古に没頭する日々が続いたそうです。
1年生の秋には、メンバーと共に劇団「東京オレンジ」を旗揚げし、看板役者として活躍していました。
「早稲田のプリンス」と呼ばれるようになった堺さんは、女性観客を2000人程呼んだこともあったのだとか!
堺は両親から勘当された
堺さんは演じることに没頭し、ゆくゆくは中退してしまうと予感していた通り、1994年、大学3年生の春には中退を決意。
家族には一切相談せず、一方的に事後報告したそうです。
大学に退学届を提出しました。すみません!
両親からは、とてつもなく非難されたそうです。
そりゃそうですよね!
堺さんは中退騒動の後から7、8年間、両親と絶縁状態が続いたそうです。
当然仕送りなどの援助を絶たれてしまった為、堺さんはバイトをしながら芝居を続けていました。
中退した翌月から奨学金返済の催促状が届いた堺さんは、急激に極貧生活に陥ったそうです。
母親に「野菜は食べないと」と言われ続けていた事が脳裏にあったそうで、道端のたんぽぽを湯がいて、ポン酢を付けて食べていたこともあったそうです。
「軟らかそうってちょっと狙ってました。おひたしにして食べました。美味しかったですよ。春菊食べられるんだから、タンポポも食べられますよ」とあっけらかんと笑った。
スポニチより引用
堺の無名時代
極貧生活でしたが、舞台での人気ぶりは相当で、「小劇場のプリンス」と呼ばれ、追っかけファンも多かったとか。
数年後の1998年に、田辺エージェンシーと契約した堺さんですが、なかなかヒットには結びつかなかったようです。
堺さんのデビュー作は、フジテレビの深夜ドラマ「ハートにS 休刊日」でした。
ドラマには出るようになったのですが、深夜番組だったり、関東での放送だったので、宮崎の両親には届かず・・・
しかし2000年にNHK朝の連続テレビ小説「オードリー」で転機を迎えました。
堺さんはアルバイトを辞め、役者一本で仕事ができるようになったそうです。
さらに「オードリー」を見た宮崎に住む両親から連絡があり、ようやく絶縁状態は解消されました。
レギュラー番組が出来たことを、報告していなかったので、「オードリー」をみたご両親は、ビックリしたそうですよ!
数々のドラマに出演するようになった堺さんですが、印象的なのは「リーガルハイ」や「半沢直樹」ですよね!
堺さんは、長い下積み時代を経て、有名俳優になりました。
堺雅人の性格
「変人っぷりに驚かされる」と有名な堺さん。
どんなところが変わっているのでしょうか?
さっそく見ていきましょう!
堺雅人の手料理
2013年に、女優の「菅野美穂さん」とご結婚された堺さん。
家の事は、手が空く方が行うそうです。
堺さんの手料理について、2017年12月3日放送の「おしゃれイズム」では、「バナナの味噌汁」「たこ焼きの味噌汁」「唐揚げと餃子の味噌汁」などが紹介されました。
堺さんの作った味噌汁を食べた菅野美穂さんは、どんなコメントをしたのかも気になりますね!
変わった人柄の役がハマっていますが、実際プライベートでも変わっているのかもしれません。
しかも、変わっているのは現在だけではなく、若い頃からのようです。
堺の下積み時代のアルバイト
ドーナツ店でアルバイトをしていた堺さん。
シフトの仕組みを理解していなかったようです。
お店が好きだったという事もあったそうですが、勝手に出勤してタイムカードを押し、仕事をしていたそうですよ!
「行かない」ならまだ分かりますが、シフトに入っていないのに働くとはスゴイことです。
店長に注意された堺さんですが、それでもシレっと働いていたそうですよ!
さらにお釣りをしょっちゅう間違えていたようで、時には1,000円単位で多く渡し、しまいにはクビになってしまった、というエピソードもあります。
堺は寄生虫を体に・・・
2015年4月12日の「おしゃれイズム」では、寄生虫を体に取り込もうとしたことを明かしています。
台本に「腹に一物のある男」と書かれていたため、堺さんは本当に「本当に一物を入れてやろう」と考えたそうです。
寄生虫の卵をくれ!
寄生虫館を訪れた堺さんは、理由を聞かれて役作りだと説明しましたが、断られたそうです。
役作りにストイックな有名俳優さんは沢山いますが、一風変わったストイックさでしたね!
堺は度を越した綺麗好き
堺さんの持ち物は、クローゼット1つに収まるほど少ないそうです。
ヒマなときは、盛大に断捨離するそうで、付けていた日記まで処分し、ボールペン1本になったというエピソードも。
2010年2月の「ゴールデンスランバー」のインタビューでも、綺麗好きを披露していました。
地球最後の日は何をして、何をたべますか?
最後の晩餐は、冷蔵庫の余り物で1品作らないと。滅亡する最後の日は、やっぱり掃除かな。掃除してから死にたいですね
結婚したばかりの2013年10月の「笑っていいとも」でも、過去の台本、余った薬、輪ゴムなどはスパっと捨てると言っています。
部屋に何もなさ過ぎて、友人に「楽屋か!」とつっこまれたそうです。
潔いですね!
堺雅人の生い立ち
堺さんは1973年10月14日生まれで、2024年で51歳になります。
2歳までは神戸市で過ごしましたが、ご実家は宮崎県宮崎市に移りました。
堺さんは、3人兄弟の長男として生まれ、ご両親は漁に使う網や介護用品を扱う自営業だったそうです。
宮崎市立国富小学校時代の堺さんは、目立つ方ではなく、いつも図書館で本を読んでいて、成績は大変優秀だったようです。
偏差値の高い、宮崎大学教育学部付属中学校へ入学した堺さんは、部活は吹奏楽部でホルンを吹き、学級委員も担当。
中学時代の同級生の証言では、1つの事にひたすら没頭する印象があって、蜘蛛の研究をしていた際は、ここまで凝るのか?という位調べていたそうです。
現在でも仕事に対してストイックで、「下調べが趣味」と言われています。
役作りにも、きちんと時代背景や人物の来歴などを、きっちり丁寧に調べているそうです。
2018年1月の「北の桜守」完成披露会見で、あの吉永小百合さんに「(堺さんは)本当にプロフェッショナル。」と言わしめる位です。
堺雅人の現在
堺さんは大学在学中から田辺エージェンシーと関わりがあり、正式契約をしてから20年以上事務所を変えたことはありませんでした。
しかし、2022年12月末で独立し、今後は個人事務所での活動となっていくそうです。
表向きにも何も発表が無かった退所騒動。
なぜ独立をしたのかは憶測の域を超えません。
週刊誌界隈では、半沢直樹の続編をやるかやらないか、さらには今後の活動方針が違い、話が決別したのでは?という話が上がっているようです。
また、子育ての時間などの都合が合わず、菅野美穂さんと「どちらかが独立した方がいいのではないか?」という話も夫婦間で出ていたのだとか。
大手事務所であれ、個人事務所であれ、今後堺さんに何らかの圧力があって活動できない、なんてことにならない事を、願うばかりです。
堺雅人さんの奥さんについての記事も書いています。是非ご覧ください!
堺雅人の若い頃まとめ
堺さんは高校時代に演劇に出会い、役者の面白さにハマっていました。
官僚になることが夢だった堺さんですが、国立大学にことごとく落ち、早稲田大学の演劇研究会に所属し、役者を目指すように・・・
堺さんは劇研の仲間たちと「東京オレンジ」を立ち上げ、端正な顔立ちと演劇のセンスで「早稲田のプリンス」と呼ばれるようになりました。
堺さんは、のめり込み過ぎて無断で大学を中退し、両親から勘当されています。
アルバイトで食いつなぎながら、舞台やドラマなどに出て、2000年のNHK朝ドラ「オードリー」で役者1本で生活出来るようになり、両親とも和解。
大学中退から考えると約7年間の下積み生活がありました。
大手事務所を退所され、これからの活躍が心配されますが、次の新しい変人役を楽しみに待っています!
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