「理想の女性は?」と聞かれて、人気アイドルの名前を即答した若いお相撲さんがいました。
その4年後、その力士は本当に、そのアイドルと結婚してしまいます。
アイドルの名前は高田みづえさん、力士の名前は若嶋津さん。
昭和の芸能界と角界をまたいだ「夢みたいな話」は、2026年3月、夫の旅立ちで幕を閉じました。
けれど、この夫婦の物語には、まだ続きがあったんです。
本日の記事では高田みづえさんの夫・若嶋津さんについて調べてまとめてみました。
この記事を読めば、下記の内容について、知ることが出来ます。
- 高田みづえの夫は「南海の黒豹」!ファンだった大関が射止めた馴れ初めとは
- 視聴率30.2%の結婚式と、人気絶頂での引退…みづえさんが選んだ“おかみ”の32年
- 最期まで寄り添った9年の闘病と、夫の死後に明かされた涙の本音
それでは、どうぞ!


高田みづえの夫は「南海の黒豹」と呼ばれた元大関・若嶋津
高田みづえさんの夫は、大相撲の元大関・若嶋津六夫さんです。
本名は日高六男さんで、鹿児島県の種子島・中種子町の出身。
高田みづえさんも鹿児島県の頴娃町(現・南九州市)生まれなので、2人は同じ鹿児島出身の“同郷カップル”なんですね。
若嶋津さんは二子山部屋に入門し、1983年に大関へ昇進しました。
日焼けした精悍な顔立ちから、ついたあだ名が「南海の黒豹」。

1984年には15戦全勝での幕内優勝も果たし、「次の横綱は若嶋津」と言われた時期もあったようです。
当時の人気ぶりは、漫画『キャプテン翼』の登場人物の名前に使われたほどだったとか。
ただ、体重が思うように増えず、最後まで横綱には届きませんでした。
強いのに、どこか繊細さを感じる力士。
高田みづえさんの透き通った歌声と並べると、妙にしっくりくる組み合わせだと感じます。
高田みづえの夫・若嶋津との馴れ初めは「理想の女性」発言
2人の物語の始まりは、若嶋津さんが幕内に上がったころの雑誌インタビューでした。
「理想の女性は?」という質問に、若嶋津さんは「高田みづえ」と名前を挙げていたそうなんです。
実際に顔を合わせたのは、婚約の3年ほど前に新聞社が企画した対談だったと、スポーツ報知が伝えています。
高田みづえさんは当時の第一印象を「同じ鹿児島出身と聞いていた。目が優しそうだったのを覚えています」と振り返っていたとか。
一方の若嶋津さんは、ひと言「かわいいなあ」。

ファンとして名前を挙げた相手と、本当に結ばれてしまう。
今なら「推しと結婚」なんて言われそうな展開ですよね。
個人的には、口下手な九州男児が「かわいいなあ」とだけ言ったというところに、若嶋津さんの人柄が全部出ている気がします。
高田みづえが夫・若嶋津と結婚して選んだ“おかみ”の人生
1985年2月、2人は東京・紀尾井町のホテルニューオータニで婚約を発表しました。
会場にはテレビカメラ12台、200人を超える報道陣が集まったと報じられています。
そしてこの席で、高田みづえさんは芸能界からの引退も表明したんです。
視聴率30.2%!生中継された結婚披露宴
同じ年の9月27日、2人はホテルニューオータニで結婚披露宴を挙げました。
その様子はテレビ朝日がゴールデンタイムに生中継し、平均視聴率は30.2%を記録したそうです。

婚約会見で「相撲の世界のことは分からないのでは?」と聞かれた高田みづえさんは、こんなふうに答えていました。
全くわからないので、妙に知っているふりをせず、一から教えてもらうつもりです。自分なりに努力していきたい(スポーツ報知より)
24歳のトップ歌手が、そのまま「男だけの世界」に飛び込んでいったわけです。
夫の部屋を32年支えたおかみ時代
若嶋津さんは1987年に現役を引退し、1990年に千葉県船橋市で松ヶ根部屋を立ち上げました。
スタートは弟子3人という小さな所帯。
高田みづえさんは32年間、おかみとして部屋を切り盛りしていきます。
割烹着やジーパン姿でくるくる働くので、若嶋津さんから「お願いだからジーパンくらい新しいのを買ってくれ」と頼まれたこともあったとか。
娘のアイリさんは、テレビで「父は基本無口で、8〜9割は母がしゃべっています」と明かしていました。
無口な親方と、よくしゃべるおかみ。
弟子たちとの“通訳”役も、高田みづえさんが担っていたようです。
私はむしろ、この役割分担こそがこの夫婦の強さだったんじゃないかなと思います。
夫・若嶋津の闘病と、高田みづえが見送った最期
順風満帆に見えた夫婦に、大きな試練が訪れたのは2017年10月でした。
若嶋津さんは千葉県船橋市の路上で転倒して頭を強く打ち、一時は意識不明の重体と報じられます。
一命はとりとめたものの、ここから長い闘病生活が始まりました。
スポーツ報知は、若嶋津さんが2017年から闘病生活を送り、高田みづえさんが献身的に介護を続けていたと伝えています。
2022年1月、若嶋津さんは65歳の定年を迎え、部屋の経営からも退きました。
同時に、高田みづえさんもおかみを“卒業”しています。
その後、若嶋津さんは2025年の夏ごろから体調を崩して入院。
そして2026年3月15日、肺炎のため69歳で亡くなりました。
3月24日の告別式では、高田みづえさんが喪主を務め、最後のあいさつを涙ながらに述べたと報じられています。
通夜には横綱・大の里さんや花田虎上さんら約400人、告別式にも約300人が参列したとか。
結婚から約41年、夫婦の時間は闘病と介護の9年を含めて静かに幕を下ろしました。

結婚式が視聴率30.2%で全国に生中継された夫婦が、最後は家族と弟子たちに囲まれて別れを迎える。
その対比に、胸がぎゅっとなる方も多いのではないでしょうか。
夫の死後、高田みづえが再びマイクを握った理由
物語には、もうひとつ続きがあります。
2026年8月25日、高田みづえさんはNHK「うたコン」に生出演し、11年ぶりにテレビで歌声を披露しました。
「お父さん行ってくるね。生だよ」
出演を決めたのは、ちょうど若嶋津さんの四十九日が終わったころだったそうです。
中日スポーツによると、高田みづえさんは「ちょっとだけ一歩踏み出してみたいという正直な気持ちもありました」と語っています。
さらにスポーツ報知の取材には、「親方だったら『お母さん、いつも元気で笑っている方がいいよ』って言うだろうなと思いました」とコメント。
本番前には遺影に「お父さん行ってくるね。生だよ」と語りかけてから出てきたんだとか。
そして「きっと一番喜んで、特等席…たまり席で見てくれていたと思います」。
“最初のファン”の特等席
「たまり席」というのは、土俵のすぐ下、力士が出番を待つ席のこと。
相撲の世界で生きてきた人らしい言葉選びですよね。
振り返ると、若嶋津さんは「理想の女性は高田みづえ」と公言した、いわば“最初のファン”でした。
その人のために、引退してから大切にしまってきた歌をもう一度歌う。
正直、この話を知ってから「私はピアノ」を聴くと、少し違った曲に聞こえてしまいます。
高田みづえさんのことは、アイドルだった若い頃の記事と、息子・勝信さんについての記事も書いています!ぜひご覧ください↓


まとめ
今回は、高田みづえさんの夫・若嶋津さんについてまとめてみました。
高田みづえさんの夫は、「南海の黒豹」と呼ばれた元大関・若嶋津六夫さんです。
雑誌で「理想の女性は高田みづえ」と語っていた若嶋津さんが、新聞社の対談をきっかけに本当に結ばれたのが馴れ初めでした。
1985年に婚約・引退を同時に発表し、結婚式の生中継は視聴率30.2%。
その後は32年間おかみとして夫の部屋を支え、2017年からは闘病する夫に寄り添い続けています。
2026年3月に若嶋津さんが亡くなったあと、高田みづえさんは「うたコン」で再びマイクを握りました。
“最初のファン”が特等席で見ていると信じて歌う66歳の高田みづえさんを、これからもそっと応援したいですね。
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