高島忠夫の長男誘拐事件を起こした犯人の家政婦がヤバい!第2の誘拐事件も?

婦人公論高島夫妻画像

東宝の映画スターだった高島忠夫さんと、宝塚歌劇団、星組男役トップスターの寿美花代さんのビッグカップルは、昭和38年に結婚しました。

とても仲がいい夫婦として、世間に知られていて、翌年の3月には、長男道夫ちゃんが生まれます。

しかし、大切に育てられていたはずの長男道夫ちゃんは、当時雇っていた家政婦によってその尊い命を奪われました。

本日の記事では、忠夫さんの長男、道夫ちゃんの事件について、調べてまとめてみました。

この記事を読めば、下記の内容について、知ることが出来ます。

  • 長男道夫ちゃん殺害事件の全貌
  • 家政婦の犯行動機は?
  • 家政婦の名前は?生い立ちは?
  • 家政婦の現在は?

さらに、家族に与えた影響や、父高島忠夫さんの死因まで調べてみました。

それでは、どうぞ!

目次

高島忠夫長男誘拐事件とは?

高島忠夫さんの長男、道夫ちゃんは、当時生後5か月でした。

高島道夫画像

生後5か月程になると、人の顔が認識できるようになり、特にママを特別な存在として認識するようです。

そんな道夫ちゃんに、何が起きたのでしょうか?

事件発生の日時や内容とは?

事件が起きたのは、1964年8月24日。

東京都世田谷区上野毛の、高島家で起きました。

当時高島家で住み込みで働いていた方は、以下の通り。

  • 道夫ちゃんの世話係として29歳の看護師
  • 高島家の親戚筋にあたる69歳の女性
  • 最初の家政婦として雇われた17歳の女性

犯行当時、高島夫妻は2階の寝室に寝ており、道夫ちゃんは、1階で看護師と添い寝していたそう。

犯人の17歳家政婦は、看護師の部屋にいた道夫ちゃんを抱き上げ、寝室を出てあやすなどした後、バスタブに沈めて溺死させたそうです。

バスタブのイメージ画像

そして、偽装工作のため部屋を荒らし、ドアを開け、物取りや誘拐と思わせようとしました。

家政婦は、なにくわぬ顔をし、騒ぎ立てたそうです。

17歳家政婦

道夫ちゃんがいない。男の人影を窓越しに見た。強盗だ。

高島夫妻も2階の寝室から降りてきて、全員で道夫ちゃんを探しました。

外へ続くドアも開いていたため、忠夫さんは、鉄棒を持って外へ飛び出しましたが、誰もいません。

母親の花代さんは、念のためと思い、浴槽のフタを外して、のぞいてみることにしたそうです。

そこには口から泡を吹き、変わりはてた自分の息子の姿が・・・

その場に、へたり込んでしまった花代さん。

AERA若い頃の高島夫妻と子供達画像
AERAより引用

代わりに、父忠夫さんは、息子を抱え込み、パジャマ姿で、近所の小倉医院へ連れて行きましたが、道夫ちゃんはその後、息を引き取りました。

17歳家政婦の証言と警察が見抜いたウソ

通報を受けた警察は、家族に事情聴取をするうちに、すぐに17歳の家政婦を疑いました。

17歳家政婦の証言には、不審な点が沢山あったからです。

17歳家政婦の証言とは?

「不審な男を窓越しに見た」と証言しましたが、外からの侵入の形跡はなし。

侵入者のイメージ画像

「道夫ちゃんが激しく泣いているのを聞いた」と証言していますが、誰も聞いていません。

しかも、17歳家政婦の業務で、全員が風呂に入り終わった時点で、風呂の水を抜くようになっていましたが、その日は抜いていませんでした。

警察が見抜いた17歳家政婦の不審点

高島家では、不審者がいたら、激しく吠える犬も飼っていたが、その日は吠えていなかったそうです。

もし、犯人が物取り目的で侵入したとすれば、生後5か月の赤ん坊を、目撃されたからと言って、証人になるはずも無く、殺すのは不自然。

仮に、物取りの犯行であれば、バスタブに沈めてからふたを閉めるのは無意味。

殺人事件の容疑者として、17歳家政婦を署に連行しました。

警察が17歳家政婦に、不自然な点を問いただしたところ、同じ日の午後1時半頃に、自供しました。

手錠の画像

17歳家政婦を殺人罪で起訴

17歳でしたが、成人の殺人罪として起訴され、昭和40年6月、懲役3年から5年という不定期刑が下されました。

しかし、模範囚だったようで、21歳になる年の、昭和43年に仮出所。

刑務服の女性画像

なんと、出所から2年後に結婚していました。

家政婦の過去も知った上での、結婚だったようです。

その後、家政婦はいくつかのメディアに登場し、当時のことや、高島夫妻に対する懺悔を告白しています。

「高島さんに詫びる気持ちは生涯変わりません」「(命日には)道夫ちゃんの写真の前にお花とかお菓子を添えて深くお詫びしているのです。これだけは一生欠かしません。道夫ちゃん、高島さん、奥さま、本当にごめんなさい」

サイゾーウーマンより引用

17歳家政婦の生い立ち

犯人の17歳家政婦は、昭和22年、新潟県佐渡島で、農業と商業を営む両親と、女姉妹4人の末っ子に生まれました。

田舎の風景画像

中学時代、成績は普通で、目立つような子ではなかったそう。

それでも、「勝気」「世話好き」「はっきりものを言う」といった、周囲の印象があったようです。

その後、16歳の中学卒業を機に、集団就職で上京。

墨田区の工場で、工員として働き始めました。

しかし、工場の移転に伴い3か月で退職したようです。

もともと宝塚のファンだったようで、後援会関係の口添えで、昭和38年7月に、高島家で住み込みの家政婦として、働くことになったようです。

17歳家政婦の犯行動機がヤバい!

生後5か月の赤ちゃんの、息の根を止められる心情とは、一体どんなものなのでしょうか?

早速見ていきましょう。

最初は17歳家政婦1人だった

「高島夫妻に、とっても可愛がられている」「毎日の生活が夢のようで、楽しくて仕方がない」と友人や故郷の両親に語っていた家政婦。

家政婦のイメージ画像

故郷でも異例の出世で「芸能人との生活」は、格好のうわさ話になっていたとか。

昭和39年6月に、17歳の家政婦は、忠夫さんの付き人もするようになりました。

そのことで家政婦は、「お手伝い」から「業界人」になったつもりで、周りへの態度も横柄になっていったそう。

しかし、高島夫妻に対しての仕事は、献身的にこなしていったようです。

そんな家政婦に、忠夫さんは感謝をし、赤坂の高級レストランのバイキングに連れていき、海外ブランドの高級時計やセーターをプレゼントしているそうです。

高島夫妻の中心は長男の道夫ちゃんに

17歳家政婦が、付き人をしている間、高島家に変化が・・・

家事担当が手薄になった事、道夫ちゃんの誕生によって、働き手が増えました。

高島家の親戚筋の69歳女性と、道夫ちゃん専任の29歳看護師が、住み込みで働くことになりました。

第1子が生まれて、当然、家庭は子供中心。

高島夫妻は、資格を持つ看護師を頼りにしていくようになり、17歳家政婦は、嫉妬心が芽生えたようです。

17歳家政婦

高島夫妻は看護師ばかり可愛がって、自分はのけ者だ。

さらに高島夫妻は、北南米に40日間の旅行を計画しており、当然ついていけるものだと思っていた家政婦でしたが、そうではなかったのです。

花代さんが看護師に「道夫ちゃんをよろしくね。お土産を買ってくるから」と話しているのを、偶然聞いてしまったようです。

自分には何も言われなかったので、「自分にはお土産も買ってもらえないのか」と思ったそうです。

がっかりする女性のイラスト

世間知らずの17歳。

親から離れていた為、高島夫婦に優しくされることが、家政婦にとっては必要だったのかもしれませんね。

しかし、「高島夫妻に自分だけが信用され、可愛がられたい」という歪んだ欲望に、変化していきます。

家政婦は、事件の数日前から風邪をひき、花代さんから、「道夫ちゃんに近づかないで!」と言われていたこともあり、さらに追い詰められていったようです。

道夫ちゃんを抱いている看護師を見て、どんどん看護師に対しての嫉妬心が膨らみます。

完全なる逆恨みでしたが下記のように感じていたようです。

17歳家政婦

道夫ちゃんさえいなければ、看護師は不要になり、また私を可愛がってくれる・・・

犯行直前、看護師が、家政婦の部屋をのぞき、「まだ寝てないの?」と声を掛けました。

家政婦は、嫌がらせと受け取ってしまったのだとか。

看護師への嫉妬心と、「私だけ愛されたい」という感情から、犯行に及んだのだそうです。

高島夫婦に対する世間の嫌がらせがヒドい・・・

犯行当日、高島夫妻は2階の寝室、道夫ちゃんは、看護師と1階に寝ていました。

そのことが「アメリカ気取り」などと、格好の非難の的に・・・

高島夫妻が予定していた40日の海外旅行も、「幼子を残して長期旅行するとは」と批判されます。

電話の画像

犯人の17歳家政婦に関しても、「精神のおかしい子。そんな子を雇っている方が悪い」・「お手伝いを甘やかして勘違いさせた」などの意見もあがりました。

事件後には、赤ちゃんの泣き声や「ママ~苦しいよ~」などのいたずら電話が、相次いでかかってきており、さらに苦しめられたと、のちの番組で寿美花代さんが語っています。

ひどいですよね・・・

犯人の17歳家政婦は今生きているのか?

俳優として活躍している高嶋政宏さんと、高嶋政伸さんは、この事件のあとに生まれた、次男と3男です。

政宏さんと政伸さんは、成人されてから、1980年代後半に、俳優としてデビューされています。

3男の政伸さんが20代前半の時、道夫ちゃんを殺害した犯人が、目の前に現れたのだといいます。

時期としては、デビューを果たしてから数年以内の話。

“犯人は、私、私”ってあっけらかんと話しかけてきたようです。政伸さんは“普通のおばさんだった”といっていました。その女性が本当に犯人だったのか、ただの嫌がらせだったのか、いまになっては確かめようもありませんが、驚いたでしょうね」

newsポストセブンより引用

犯人の年齢を考えると、41歳から46歳になっている頃になります。

犯人の17歳家政婦の名前は?現在何をしている?

2023年現在、76歳ほどになっています。

犯行当時未成年だったため、名前は公表されませんでした。

現在であれば、SNSなどが発達しているため、写真も名前も、晒されていたでしょうね。

もう長い間メディアには登場していないため、真相は闇の中。

どこかでひっそりと生活しているかもしれませんね。

第2の誘拐事件とは?

高嶋政伸さんも、幼少期の頃、誘拐されそうになった、という話があります。

高嶋政伸画像

高島家に、見知らぬ人から、誘拐予告電話があったようです。

長男の事件もあったことから、いたずら電話が多数かかっていたようですが、念のため警察へ連絡。

当時の日本では、芸能人の子供が誘拐される事件が、多発していました。

身の危険を感じた家族は、半年間刑事と同居しましたが、未遂に終わっています。

高島家に与えた影響がすごかった!

高島ファミリーは、家族がとても仲が良く、よく一緒にテレビ出演をされていました。

理由の1つに、道夫ちゃんの事件があったからだと考えられます。

「寿美さんと政宏さんは霊感体質ということもありますが、道夫ちゃんの魂とよく対話していたそうです。そんな姿を見て、忠夫さんも政伸さんも、ずいぶんと感化されていましたね。そうして、あのファミリーはつながりをどんどん強くしていったんでしょう」(高島家を知る人物)”

newsポストセブンより引用

また、事件から49年後のインタビューで、寿美花代さんは、「いまだにお風呂っていうと、シャワーしか浴びれない」と、今も事件の後遺症に、苦しみ続けていることを明かしています。

高島忠夫の死因

高島忠夫さんは、88歳でこの世を去っています。

忠夫さんは、1998年頃から、うつ病を発症。

糖尿病、パーキンソン症候群、さらに、2010年には不整脈で心臓に、ペースメーカーを付ける大手術を受けたことも、明かされています。

長い闘病生活を経て、2019年6月26日、老衰のため自宅にて息を引き取っています。

高嶋政伸の再婚相手に関する記事も書いています。是非ご覧ください↓

高島忠夫の長男の事件まとめ

高島忠夫さんの長男、道夫ちゃんは、生後5か月で、自宅のバスタブに沈められて、亡くなられています。

犯人は、当時17歳の家政婦。

隠ぺい工作のため部屋を荒らし、ドアを開けたりした後、「道夫ちゃんがいない」と周囲に呼びかけました。

犯行動機は、看護師への嫉妬、高島夫妻の寵愛が、道夫ちゃんや看護師に移ってしまった、との激しい思い込みから、「道夫ちゃんさえいなければ、看護師も用無し。また私だけを可愛がってくれる」と思ったからだそうです。

父忠夫さんは、苦しい闘病生活でしたが、今頃天国で、道夫ちゃんと思う存分、会話をされていると願っています。

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