2022年で30周年を迎えたウルフルズのボーカル、トータス松本さん。
本名は「松本敦(あつし)さん」で、初の大ヒットは、29歳の時の「ガッツだぜ!!」でした。
3か月後にはアルバム「バンザイ」をリリースし、ミリオンセラーを記録!
現在では俳優業もこなしており、CM 映画、ドラマなど、マルチな活躍をしていますね!
29歳まで大ヒット曲がなかった、トータス松本さんですが、売れるまでの期間、いったいどんな風に過ごしてきたのでしょうか?
本日の記事では、そんなトータス松本さんの若い頃を調べてまとめてみました。
この記事を読めば、下記の内容について知ることが出来ます。
- トータス松本の生い立ち
- 松本敦からトータスになるまで
- トータス松本の性格エピソード
それでは、どうぞ!
トータス松本の生い立ち
屈託のない笑顔のトータス松本さんですが、どのように育ったのでしょうか?
音楽に触れるきっかけは、どうやら家族にあったようです。
早速見ていきましょう!
トータス松本の家族とは?
トータス松本さんは、兵庫県西脇市黒田庄町にご実家があります。
ご両親は松本博さんと友子さんという名前だそうですよ!
実家は、織物業を営んでいて、両親は共働き。
2016年2月放送の「ダーツの旅」で、両親がTV出演を果たしていますが、気さくでいい人でした!
きょうだいは姉、兄がいて、トータス松本さんは3人兄弟の末っ子です。
出身小学校は、黒田庄町立楠丘小学校。
子供の頃は、小児喘息を患っており、外を元気よく走り回ることはしなかったそうです。
そのかわり、絵をかいたり、音楽が大好きだった父親のレコードを聴いて、過ごしていたようです。
当時の実家には、叔父さんのガットギターがあったそうですが、弾いたことが無かったそうなんですね。
そこでトータス松本さんは、段ボールを切り抜いて、「うそギター」を作って真似をしていたそうですよ。
当時はまだおばあちゃんがご健在で、病院などに付き添って行った際には、暇すぎて歌を歌い、患者さんから拍手をもらっていたのだとか。
当時から音楽が大好きだったようです。
トータス松本さんの姉と兄の情報は、一般人の為ありませんでした。
トータス松本初めてのギター
黒田庄町立黒田庄中学校に入学したトータス松本さん。
バレー部に所属し、人生を変える人物「オオサキさん」に出会ったそうです。
トータスさんは、父親の沢山のレコードを聞いていたにもかかわらず、オオサキさんからは、聞いたことの無いバンドの名前などが出てくる事から、興味がわいて家に遊びに行ったみたいです。
オオサキさんの家にはドラムセットやエレキギターがあり、トータスさんは、「ナニコレー!!」となったそうです。
驚いたトータスさんでしたが、さらに驚いたことが・・・
オオサキさんはディープパープルの「ハイウェイスター」を流しながら、合わせてドラムを叩きだしたそうです。
かっこええなぁ!
友人が、「松本もギター買えばええやん。」と発言し、その日から授業中もカタログばっかり見ていたそうです。
誕生日プレゼントにギターをねだったトータス松本さん。
そんなもん買ったら絶対勉強せえへんからアカン!
なかなか許してはもらえませんでした。
しかし、来る日も来る日も「買うてくれ、買うてくれ」と言い続けたそうです。
しまいには両親が根負け。
両親が買ってくれたのは、4万円のヤマハのエレキギター、SR400でした。
レコードが数百円の時代だったので、相当高額でしたね。
すごく高いものを買ってくれたという認識があった分、トータス松本さんは、
これで投げ出したら父親にシバかれる!
そう思って必死に練習したそうです。
好きな曲を弾けるようになったトータス松本さんは、ギターの面白さに夢中になっていったようです。
松本敦からトータス松本になるまで
同級生のオオサキさんが集めたメンバーで、文化祭などで曲を披露するようになったトータスさん。
兵庫県立社(やしろ)高校に進学する頃には、オオサキさんのように音楽を広め、新しい仲間たちとバンド活動をしたそうです。
好きなバンドは、「RCサクセション」。
忌野清志郎さんをずっと追いかけていたそうです。
高校2年の時には、念願のRCサクセションさんのライブを見にいき、そこで衝撃的な体験をしたようです。
ライブで1曲目が流れたとき、シンプルな言い方だけど、ビリビリビリって感じになったんですよね。音圧もすごいし。そんな爆音で音楽を聴いたこともなかったから。
(中略)イントロに合わせて清志郎さんが下手からブワーって走って出てきて。
化粧してる顔に照明が当たって、歌う前にステージで右往左往してたんですけど、カッコいいなっていう言葉じゃなく、衝撃的ですごい体験だったんです。
J-waveより引用
俺はああなる!
そう思ったそうです。
周りのバンド仲間との温度差が出来てしまいましたが、トータスさんがマジになった瞬間でした。
専門学校
本当はバイトをしながら、「バンドで生きていきたい」と言いたかったトータス松本さん。
両親が絶対に反対するとわかっていたので、実家が繊維業ということもあり、大阪デザイナー専門学校を選びました。
割とすんなり、「じゃあ、行け」とOKが出たそうです。
専門学校へ行けば、自分と同じ気持ちの人がいるかもと期待をしていたのですが、バンド仲間を見つけることはできず、学校生活が終わったそうです。
就職活動も2社ほど受けましたが、落ちたみたいです。
これ幸い!「就職先の面接を受けたけど落ちた」と、親にも先生にも言い訳が成立!
早速アルバイト先を探し始めたそうです。
インド喫茶で
初めは、貸しスタジオやライブハウス、楽器屋さんなどを当たったそうですが、何となくピンとこなかったそうです。
次第にお金が無くなってきたトータスさん。
たまたま入った喫茶店が、ものすごくお洒落で、店員さんも個性的で、こんなところで働いたら、楽しいだろうなぁと思って「働かせてください」と頼みに行ったそうです。
そこが、インド喫茶の「カンテ・グランデ」だったそうです。
偶然その喫茶店は、バンドをしながら働いている人が多かったみたいですね。
当時4店舗あったカンテ・グランデは、店員ならどこへ行ってもタダでお茶が飲めたそう。
休みの日には丸ビル店へ足を運び、トータスさんは店員さんと仲良くなっていったようです。
丸ビル店には、ウルフルズのメンバーである、ウルフルケイスケさんと、ジョン・Bさんの2人がいて、バンドを組む際にトータスさんに声が掛かったそうです。
ギターを弾く気満々でいたトータスさん。
しかし、ウルフルケイスケさんに、「松本くん歌ってぇや」と言われて頑張って歌ったところ、「ええなぁ!」と言われ、現在のウルフルズの原型が出来たそうです。
トータス松本さんは21歳でした。
バンザイがヒットするまで
ウルフルズは、ライブハウスにて活動を続けていき、関西で知名度を上げていったようです。
たまたま声を掛けられて、渋谷のエッグマンで演奏をすることになり、東京へ進出することになりました。
最初の観客は、友人6人しかおらず、関西では沢山の観客の前で演奏していただけあって、だいぶヘコんだみたいです。
しかし、続けていくうちにどんどん観客が増え、2、3年後にはワンマンライブが出来るようになったそうです。
ついにレコード会社の方に名刺を置いて行かれるようになり、1992年、シングル「やぶれかぶれ」でデビューを果たします。
デビュー後は、なかなかヒットを出せず、またバイトをすることに・・・
しかし、プロデューサーに伊藤銀次さんを迎えると、次第に知名度が上がっていきました。
1995年12月に「ガッツだぜ!!」、3か月後に「バンザイ~好きでよかった~」をリリースし、大ヒットを成し遂げました。
トータス松本の性格エピソード
小さい頃から、音楽に情熱を傾けていたトータス松本さん。
性格が悪いという声もチラホラ・・・
どういったエピソードがあったのでしょうか?
飲食店で横柄な態度
ある飲食店の従業員さんの知恵袋の書き込みでは、ウルフルズ御一行が食事をしに来てくれた時のエピソードを語っていました。
そこでトータス松本さんがふんぞり返っている姿が・・・
さらにその従業員さんは、キッチンスタッフだったそうで、失礼が無いように私服に着替えて見に行ったら、スタッフに「用がないなら来るな」と言われ、腹が立ったそうです。
熱しやすい性格と噂のトータスさんですが、上記の発言はスタッフのもの。
トータス松本さんがふんぞり返った姿勢で、スタッフの言葉を聞いていながら咎めなかった事が、書き込みされた方のいらだちに繋がってしまったかもしれませんね。
トータス松本さんの子供みたいな素直な笑顔と、歌詞を見るに、自分に正直なだけ、ということもあるかもしれませんね。
トータス松本はライブで客席に怒鳴る
2017年5月19日放送の「バズリズム」にゲスト出演したトータス松本さん。
若い頃、ライブハウスで対バン(複数の出演者がいる)ライブの際、相手のバンドの悪口を言ったりしていた、というエピソードを明かしました。
他のバンドのファンがトータス松本さんのライブを無表情で見ていたりすると、
観るなら観ろ!観ないなら帰れ!
トータス松本さんは、客席に向かって怒鳴ったそうです。
番組内で本人も認めており、「若気の至り、恥ずかしいね」と照れ笑いしたそうです。
トータス松本さんの息子さんについても記事を書いています。是非ご覧ください↓
トータス松本の若い頃まとめ
お父さんの趣味で集めたレコードを小さい頃から聞いていたトータスさん。
歌うこともギターも、小さい頃から興味があったようですね。
高校2年生でRCサクセションのライブに行き、火が付いたトータスさんは、本気でプロを目指し大阪へ。
インド喫茶のバイトで運命の出会いを果たし、ウルフルズ結成をします。
一緒に大阪に行くバンド仲間がいなかった時も、東京のライブで観客が集まらなかった時も、デビューしたのに売れなかった時も、ずっと諦めずにやり続けましたね。
30周年を迎えましたが、40周年、50周年と、これからもステキな歌を届けてくださいね!
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