ドラマ、映画、CM、ラジオなど、様々なジャンルで活躍を続けている吉田羊さん。
数々の新人賞、助演女優賞などを受賞しています。
現在では、とても有名な女優さんですよね!
しかし、テレビに出始めたのは30代になってからという異例の経歴を持っています。
吉田羊さんの若い頃は、いったいどんなことをしていたのでしょうか?
本日の記事では、吉田羊さんの若い頃を、調べてまとめてみました。
この記事を読めば、下記の内容について知ることができます。
- 吉田羊さんのご家族
- 吉田羊さんの性格が分かるエピソード
- 吉田羊さんの学生時代から舞台女優時代
- 吉田羊さんが芸能界に入ったきっかけ
それでは、どうぞ!
吉田羊の幼少期
吉田羊さんは、福岡県久留米市の出身で、父親は牧師、母親は幼稚園教諭という、共働きの両親の元で育ちました。
本名は吉田羊右子(ようこ)さんといいます。
5人きょうだいの末っ子で、仲はとても良かったそうです。
羊さん以外は一般の方ですが、きょうだい全員に羊という漢字が入っているとか。
上の子から女→男→女→男→羊さんと生まれたそうで、全員2歳差。
上手に産み分けましたね!
羊さんは、お父さんっこだったそうです。
お父さんが讃美歌を歌い始めると、それぞれのパートで家族全員が参加し始めて、よく讃美歌を家族で歌っていたというエピソードもあります。
羊さんの好きな食べ物は「納豆」で、母親からは「納豆娘」とあだ名がつけられていたそうです。
大人になってからも納豆好きで、2015年には「納豆クイーン」に選ばれています。
吉田は人を喜ばせるのが好きだった
ご両親は、大のもてなし好きだそうです。
特に母親が手作り料理やお菓子を作っては、客人にふるまっていたのだとか。
そんな母親を見習って、羊さんは小さい頃から、お客さんを喜ばせることが好きだったそうです。
小さい頃から演じることが好きだった羊さんは、客人の前で松田聖子さんや中森明菜さんのモノマネをして笑わせていたそうですよ。
吉田のコンプレックス
5人兄弟だったにもかかわらず、孤独感を感じていた羊さん。
長女との年の差は8歳。
小さい頃の8歳差は、かなり大きいですよね。
口癖は『お父さんにはお母さんが、お姉ちゃんには下のお姉ちゃんが、上のお兄ちゃんには下のお兄ちゃんがいるでしょ。ほらね、私だけ一人』
文春オンラインより引用
上のきょうだい4人は優秀で、両親が喜ぶ職業についており、羊さんは現在でも「私だけひとり半人前」という意識があるそうです。
さらに母親の愛情も、末っ子の羊さんには、なかなか行きつかない事を感じていたそうです。
きょうだいと比べると、私はあまり母に思われていないのかなと、感じることが時々ありました。5人もいれば、親の愛情に偏りは出る。やっぱり、言っちゃ悪いけど『こっちのほうがかわいい』みたいなことは、母にもあったんじゃないかな。
文春オンラインより引用
「当時はそれを認めるのがしんどかったけど」と記事の中で話しています。
吉田羊の小学校時代
久留米市立西国分小学校へ進学した羊さん。
「根暗」だったと公言している羊さんの小学校時代は、トイレの中で1人芝居をする癖があったようです。
1人の男の子を2人の女の子が取り合うという場面を、羊さんひとりで声色を変えて演じたそうです。
どんなセリフだったのか、気になりますね~。
当時を振り返った吉田羊さんは、自分をこう分析していました。
「自分じゃない何かになりたかったんだと思います」
今夜くらべてみましたより引用
学校の休み時間には、ぬいぐるみを持ってきて話しかけていて、友達を作るのが苦手だったと公言しています。
さらに羊さんは、おままごとが大好きで、中学1年生までやめられなかったそうです。
演じることが、小さい頃から大好きだったのですね!
自宅での羊さんは、お父さんっ子で、父親の乗るバイクの後部座席にも良く乗ってたそうですよ!
吉田羊の中学校時代
久留米市立諏訪中学校での羊さんは、1年生までおままごとにハマっていましたが、アイドルにもハマっていったようです。
当時ブレイクしていた光GENJIの追っかけもしていたそうです。
羊さんは小学生からずっと、チェッカーズの大ファンで、今でも藤井フミヤさんのファン。
中学校時代を徹子の部屋で語った際には、「内弁慶でいじめられっ子」だったと話しています。
卒業アルバムには、同級生から羊さんに「もう少し明るくなればいいのに」と書かれてしまったとか。
現在の吉田羊さんの明るさや前向きさを見ると、到底イメージがつきませんよね。
吉田羊の高校生時代
久留米信愛女学院高校へ進学した吉田羊さん。
ミッションスクールの女子高で、地元では「お嬢様学校」と言われているようです。
羊さんは高校時代、帰宅部で部活なども行わなかったそうですが、当時から美人女子高生としてモテていたようですよ!
ご自身では「自信のない目立ちたがり屋」だったと語っているそうです。
高校3年生の時の体育祭で、4ブロックに分かれて応援合戦があった時に、羊さんは、黄色ブロックの応援団長を務めました。
後輩から「吉田先輩、かっこいい!」と慕われるようになったそうです。
ファンクラブが出来たり、羊さんの自転車にほおずりする女子も現れたのだとか!
羊さんは、身内以外の人が、自分がいることで喜んでくれたり、同性に慕われるという出来事が、とても嬉しかったとスポニチの記事で話しています。
人前で何かパフォーマンスをして、他人に評価されるということって、どこか女優につながるところがありますよね。今思えば、あれが原体験だったかなというのはあります。
スポニチより引用
吉田羊の大学生時代
羊さんは大学で、考古学を学びたかったそうです。
しかし、第一志望に落ちてしまい、桜美林大学文学部 中国語中国文学科に進学しました。
卒業後は、中国で日本語教師をやろうと思っていたそうです。
羊さんは当時、女優の道は1ミリも考えていなかったことが分かります。
在学中舞台デビューのきっかけ
羊さんも大学3年生になったころ、周りの友人は就職活動に必死。
しかし、羊さんは確信をもって思ったことがありました。
私(羊さん)は毎日満員電車で会社勤めすることはできないだろうな・・・
ふと、小さい頃から演じることが好きだったことを思い出し、雑誌「ぴあ」の女優募集の3行広告に応募したそうです。
広告の内容は、3か月後の舞台に出る女優さんを探しているというもの。
養成所に入るとか、演技の勉強からとかじゃなく、羊さんはすぐ実践したかったそうです。
羊さんの小さい頃からのコンプレックスから、女優で成功して家族に認められたいという想いがあったのかもしれませんね。
3か月後には、下北沢にある、「劇」小劇場にて初舞台を経験。
羊さんは当時23歳でした。
初舞台は吐くほど緊張したそうで、見に来てくれた友達は、羊さんの目が泳いでいて、見ていられなかったみたいです。
でも本人は、カーテンコールのライトが当たっている瞬間に、「あ、たぶん私(羊さん)これ続けるだろうな」と思っていたそうです!
(羊さんは)ずっとこの世界で生きていきたいと思い、両親に電話をしたら「そう言うと思っていたよ」と。
oriconより引用
吉田の舞台女優の経歴
下北沢の劇場には、ほとんど立ったという吉田羊さん。
吉田羊さんが27歳の時、舞台で知り合った女性達と劇団「東京スウィカ」を立ち上げました。
古き良き昭和を醸し出す舞台をすることで、立ち上げから満員御礼だったそうです。
自主制作の舞台の為、ビラを作り、配り歩き、アルバイトも沢山したみたいです。
「毎日舞台に立てれば、それでハッピー!!」「生きてる!」という実感でいっぱいだったそうです。
吉田羊の芸能界デビュー
舞台女優としての自分自身を「幸せ」と感じていた羊さん。
どんなきっかけがあってテレビや映画への出演となったのでしょうか?
吉田のデビューのきっかけ
羊さんの東京スウィカでの活動が8年目を迎えたころ、外部の舞台に出演させてもらったそうです。
いつもなら、羊さんに合った役柄の舞台で、いつもどこかに素のキャラクターが反映されていたのですが・・・
参加した他の劇団の役柄で、いつもとは全く違う役を任された羊さん。
そこで初めて、「役を生きている」という実感が持てたのだとか。
羊さんは、もっといろんな人に会いたいし、経験を積みたいと感じたそうです。
そんなとき、舞台を見に来ていた現在のマネージャーYさんが、羊さんをスカウトしたのがきっかけで、テレビの世界に足を踏み入れたのだとか。
想いがあると、引き寄せるのでしょうか。
吉田さんは当時30歳ちょうどだったそうです。
吉田羊は事務所に借金があった!
羊さんのマネージャーYさんは、羊さんと同年齢だそうです。
羊さんは、Yさんが大手事務所を辞めて作った個人事務所「ORANKU(オランク)」に所属。
2人3脚で活動を始めたそうですが・・・
初めは営業に行ったYさんに、営業先は目の前で名刺とプロフィールを捨て、「この年で無名のこの人を使って何のメリットがあるの?」と言われたこともあるそうです。
そんな中、羊さんは女優業に専念するため、一切のアルバイトは禁止。
生活費はすべて事務所からの借金だったそうです。
2014年のテレビドラマ「HIRO」出演直前に完済したというインタビュー記事がありました。
今では誰しもが「吉田羊さん」といえば顔が思い浮かぶ有名人。
下北沢の小劇場で30歳の舞台女優をスカウトして売り出す・・・
ORANKU社長兼マネージャーのYさんの、腹のくくり方がハンパじゃないですよね。
2018年の年末には、吉田羊さんはORANKUとの契約終了を発表しています。
「Yマネさんとでしか見られなかった景色、沢山、沢山あります。互いに足りないものを補填し合い、励まし合い、ぶつかり合い、許し合い、泣いた日も笑った日も怒った日も、全てが、大切で必要でかけがえのない日々でした」
oriconより引用
これからはかけがえのない友人としてお付き合いを続けていくそうで、お互いの死に水を残った方が取るという約束までしているのだとか!
中井喜一との出会いで人生激変
羊さんはYマネージャーと仕事を続けた1年後に、転機が・・・
NHK連続テレビ小説「瞳」で看護師役をしていた羊さんを、たまたま見た中井貴一さんが、「あの女優は誰だ?」と探してくれたそうです。
当時中井喜一さん主演で撮影中の「風のガーデン」への出演が決まり、羊さんはあいさつに行ったそうです。
今回はチャンスをくださって、ありがとうございました。
僕のほうこそ、ありがとう。小さなことでも一所懸命やっていたら、きっと誰かが見てくれているって、よく言いますよね。実際に、そのことを君が僕に教えてくれました。
と返ってきて、なんて素敵な方だろうと羊さんは思ったそうです。
それから「あなたが吉田羊さんですか、中井さんから聞いてますよ」と声を掛けられることも増え、人との出会いが増えたそうです。
さらに中井貴一さんは、三谷幸喜さんに引き合わせてくれた為、三谷さんのお仕事もするようになり、仕事が増えていったそうです。
吉田羊さんの現在の彼氏についても書いています。是非ご覧ください↓
吉田羊若い頃まとめ
吉田羊さんは、牧師さんの父と、幼稚園教諭の母を持つ、5人きょうだいの末っ子。
幼い頃から優秀な上のきょうだいにコンプレックスを持っており、さらに母親の愛情も届かないと感じていたそうです。
そんな幼少期からか、小中学校ではトイレの中で一人芝居をしたり、おままごとにハマっていた羊さんでした。
羊さんの高校3年時代には、体育祭の応援団長になり、同性の後輩から慕われるという出来事が・・・
人前でパフォーマンスをし、評価されるという、女優としての原体験を味わった羊さん。
大学3年の就職活動では、雑誌の3行広告の女優に応募。
そこから役者人生が始まったそうです。
芸能界に突然、すい星のように現れた吉田羊さんのイメージがありますが、実はブレイクまでには上記のような出来事があったんですね!
2022年で女優デビュー25周年を迎えた吉田羊さん。
これからのご活躍も、楽しみにしています!
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