1990年代にフジテレビの人気アナウンサーとして活躍し、30歳で局アナ(テレビ局の社員アナウンサー)を勇退した中村江里子さん。
現在はパリを拠点にフリーアナウンサーとして活動しながら、フランス人の夫との間に3人の子どもを授かり、日本とフランスの両方の文化に触れさせながら子育てをしてきました。
気になるのは、日仏ハーフとして育った子どもたちが、それぞれどんな道を選んだのかという点です。
中村さん自身の子育てに対する考え方も、インタビューのたびに少しずつ明らかになってきています。
本日の記事では、中村江里子さんの子供3人のプロフィールと、進路をめぐるエピソード、そして本人の教育方針について調べてまとめてみました。
- 3人の子供の名前と年齢は?“全員モデル体型”と話題になった家族写真も
- 長女が語った「日本は窮屈」からの心境の変化とは
- 「進路は親が決めるものじゃない」中村江里子が貫く子育ての軸
それでは、どうぞ!


子育てをしながら仕事も続けてきた中村さん
中村さんは1999年にフジテレビを退社し、その後フランスへ移住しましたが、日本の仕事を完全に手放したわけではありませんでした。
3人の子どもを育てながら、日本のメディアからの取材や出演依頼にも応じ続けてきたそうです。
子どもが増えるにつれて日本への移動そのものが大変になっていったといい、家事や育児の分担についても夫婦で少しずつ話し合いを重ねてきたようです。

海外で子育てをしながら日本との仕事を両立させるというのは、想像するだけでも相当な体力と気力が必要なはずです。
中村江里子の子供は3人、長女・長男・次女
中村江里子さんとフランス人実業家の夫バルトさんの間には、長女・長男・次女の3人の子供がいます。
2004年に長女、2007年に長男、2010年に次女が誕生しており、2026年時点では長女が22歳、長男が19歳、次女が16歳になっている計算です。
長女の名前はナツエさん、長男の名前はフェルディノンさんと報じられており、いずれも日本語とフランス語の両方を話すバイリンガルとして育てたそうです。
中村さんはたびたびInstagramで家族写真を公開しており、あるモデルプレスの記事では「全員モデル体型」と紹介されるほど、すらりとした家族3人の写真が反響を呼んだこともあります。

長女ナツエは日本に立ち返る
フランスで生まれた長女のナツエさんは、幼い頃「日本はいろいろと窮屈な気がする」と感じていた時期があったそうです。
日本の慣習やルールの多さが、フランス生活が定着していると馴染みにくいものだったのかもしれません。
ところが年齢を重ねるにつれて、長女の中で変化が生まれていきました。
日本で1年、生活したい(HugKumより)。
長女は自分が日本人であることを、あらためてきちんと理解したいと考えるようになったようです。
この申し出に中村さん夫婦は驚くと同時に、泣きそうになるくらい嬉しかったと振り返っています。
2025年秋から、長女は日本でのインターンをスタートさせています。
長男の進路、14歳から貫いた“譲れない”意志
長男のフェルディノンさんは、進路選びにおいて長女ナツエさんとはまた違ったタイプのようです。
14歳の頃から、ある特定の街の大学に進学したいという希望を強く持ち続けていたといいます。
両親が他の選択肢もそれとなく提案してみても、「この大学以外は受けない」という意志は揺るがなかったそうです。
中村さん夫婦は無理に説得しようとはせず、本人の思いを見守る形を選びました。
自分の道を早い段階からはっきり決められるというのは、なかなか強い個性だなと感じますね。
「進路は親が決めるものじゃない」中村江里子の教育方針
フランス人の旦那さん、日本人の中村さんだと、子供のことに関して相当話あったと想像します。
中村さんが選んだ教育方針はどのようなものだったのでしょうか?
学歴より“どう生きたいか”を重視
中村さんの子育ての基本姿勢は、一貫して「子どもの進路は親が決めるものではない」というものです。
学歴があることで選択肢が広がることはあるが、「どんな人生を歩みたいのか」がより大事(HugKumより)。

親として主体的に決めたことは、毎年夏のヴァカンス中に子どもたちを日本の学校へ体験入学させることくらいだったそうです。
これによって子どもたち自身が、日本とフランスの違いを肌で感じ、自分の頭で考える機会を作っていたのでしょう。
“ママが笑っていること”がいちばんの栄養
子育てに悩む母親たちに向けて、中村さんは「ママが笑っていることが、いちばん大事」というメッセージも発信しています。
産科医からのアドバイスとして、疲れた体に鞭打って完璧を目指すより、笑顔でいることが子どもにとって最高の栄養になるという言葉を引用していました。
3人の子育てと日本の仕事を両立させてきた中村さんだからこそ、説得力のある言葉ですよね。
日仏ハーフとして育つということ
3人の子どもたちは、日本人の母とフランス人の父を持つ日仏ハーフとして育ってきました。

言語も文化も異なる二つの国のあいだで、自分がどちらの人間なのかを考える時期は誰にでも訪れるものです。
長女が一時期「日本は窮屈」と感じていたのも、フランスの自由な空気の中で育ったからこその感覚だったのかもしれません。
それでも成長とともに、自分から日本での生活を選び取ったというのは、単なる反抗期を超えた前向きな決断だったように思えます。
毎年夏に日本の学校へ体験入学させ続けたという中村さんの地道な工夫が、長女の中でじわじわと効いていたのではないでしょうか。
親が答えを用意するのではなく、経験の機会だけを与え続けるという子育ての姿勢は、言葉にするほど簡単ではないはずです。
3人それぞれが自分の意志で進路を選び取ってきた背景には、こうした一貫したスタンスがあったことがうかがえます。
中村江里子さんの夫についての記事と、中村江里子さんの若い頃についての記事も書いています!ぜひご覧ください↓


親が敷いたレールの上を歩かせるのではなく、経験だけを与えて選択は本人に委ねるというスタンスは、言うのは簡単でも実践するのは根気がいるはずです。
3人がそれぞれ違う道を選び取りつつあることこそ、この教育方針がきちんと機能している証なのかもしれませんね。
まとめ
中村江里子さんの子供は、長女・長男・次女の3人でした。
長女は「日本は窮屈」から一転して日本でのインターンを自ら志願し、長男は14歳から進路への強い意志を貫いてきたようです。
その背景には「進路は親が決めるものではない」という、中村さんのぶれない教育方針があったことがうかがえます。
3人の子どもたちがこれからどんな道を歩んでいくのか、これからも見守っていきたいですね。
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