招待客は1000人以上、ウエディングケーキの高さは2メートル。
日本映画界を代表する2人の結婚式は、当時としては破格の豪華さだったといいます。
しかしその煌びやかな門出の裏で、有馬稲子さんは想像を絶する結婚生活を2度も経験することになりました。
相手はどちらも、時代を代表する男性たちでした。
有馬稲子さんの夫たちとの結婚、そして離婚の裏側には、いったい何があったのでしょうか。
本日の記事では有馬稲子さんの夫について調べてまとめてみました。
この記事を読めば、下記の内容について、知ることが出来ます。
- 破格の豪華結婚式の裏にあった知られざる離婚理由とは?
- 2番目の結婚で背負うことになった衝撃の借金額とは?
- 結婚前に告白していた”許せない”過去の関係とは?
それでは、どうぞ!


有馬稲子の最初の夫・萬屋錦之介との結婚と離婚
有馬さんの最初の夫は、時代劇スターとして一世を風靡した萬屋錦之介さん(当時の芸名は中村錦之助さん)です。
2人の出会いは1958年、有馬さんが担当していた雑誌の対談ページに、ゲストとして中村さんが訪れたことがきっかけだったといいます。
東映の看板スターと東宝の看板女優という、会社の垣根を越えた組み合わせだったこともあり、当時から大きな話題になっていたようです。
招待客1000人、高さ2メートルのケーキが物語る大豪華結婚式
1961年11月27日、2人は日本映画界を代表するトップスター同士として結婚式を挙げました。
披露宴の招待客は1000人以上にのぼり、用意されたウエディングケーキは高さ2メートル、当時の金額で16万円もしたそうです。

今の貨幣価値に換算すれば、相当な金額になるのではないでしょうか。
結婚式の様子は当時の週刊誌やニュース映画でも大きく取り上げられ、日本中が2人の門出を祝福したと伝えられています。
それほどまでに世間から祝福された結婚だったからこそ、その後の展開に驚いた人も多かったかもしれません。
当時の新聞や雑誌を見返すと、結婚を祝福する声で埋め尽くされていたことがうかがえます。
梨園の妻としての激務、そしてわずか4年での離婚
華やかな結婚生活は、しかし長くは続きませんでした。
1965年7月23日、東映本社で2人そろっての離婚会見が開かれています。
離婚の理由としては、梨園の妻としての過酷な家事労働が挙げられているようです。
歌舞伎や時代劇の世界に生きる夫を支える妻には、一般家庭とは比べ物にならないほどの気配りと下働きが求められると言われています。
昼も夜も台所に立ち続ける日々に、心身ともに疲れ果ててしまったのだとか。
さらに中村さんが毎晩のように共演者やスタッフを十数人も自宅に連れ帰っては宴会を開き、夫婦水入らずの時間がまったく取れなかったことも、離婚の大きな原因になったとされています。
当時のトップスター同士の結婚は、お互いの仕事のスケジュールや周囲の人間関係も含めて、想像以上に調整が難しかったのかもしれません。
お互いに主演を張れるほどの人気者だったからこそ、日々のすれ違いも人一倍大きくなってしまったのではないでしょうか。
結婚生活からわずか4年ほどでの幕引きは、周囲の祝福が大きかった分、余計に切ないものがありますね。

2番目の夫・河村三郎との結婚と莫大な借金問題
離婚から4年後の1969年6月8日、有馬さんは実業家の河村三郎さんと再婚しています。
河村さんは山口県出身で、不動産会社を経営する実業家だったそうです。
芸能界とは畑違いの実業家を選んだことからも、有馬さんが一度目の結婚での反省を活かそうとしていたことがうかがえます。
梨園の妻としての激務を経験したからこそ、今度は自分の仕事を理解しつつ、家庭ではきちんと支えてくれる相手を選びたいと考えたのかもしれません。
順風満帆に見えた再婚生活
一度目の結婚生活での苦労を経験していた有馬さんにとって、実業家との再婚は新しい安定を求めた選択だったのかもしれません。
出会いは有馬さんが所属していた劇団関係の縁だったとも言われています。
結婚からしばらくは、平穏な生活が続いていたようです。

芸能界の喧騒から少し距離を置いた暮らしは、有馬さんにとって心休まる時間だったのではないでしょうか。
女優業を続けながら実業家の妻としての顔も持つ生活は、周囲から見れば理想的な再出発に映っていたことでしょう。
会社倒産、そして莫大な借金を背負った末の離婚
ところが1980年、河村さんが経営していた不動産会社が倒産してしまいます。
夫の事業不振がそのまま離婚原因となり、話し合いは泥沼の調停に発展したそうです。
最終的に有馬さんが莫大な借金を肩代わりする形で、1983年に離婚が成立したといいます。
女優として順調にキャリアを重ねてきた矢先に、夫の事業の後始末まで引き受けることになったわけですから、その負担は相当なものだったはずです。
芸能人が事業家と結婚した際、パートナーの経営問題に巻き込まれてしまうケースは、有馬さんに限らず今の時代でもたびたび報じられます。
女優として自分の名前で稼いだお金を、相手の借金返済のために使わざるを得なかったことを思うと、複雑な気持ちになります。
2度の結婚でそれぞれ異なる形の苦労を味わってきたことを思うと、有馬さんにとって”結婚”という制度そのものが、決して優しいものではなかったのかもしれません。
実業家としての成功を信じて再婚した相手の会社が倒産し、借金まで背負うことになったのですから、その心労は計り知れません。
有馬さんは日本経済新聞の連載「私の履歴書」の中で、結婚前に生じたある関係について「あれは失敗でした」と率直に振り返り、今も割り切れない思いがあることを明かしている(文春オンラインより)。
2度の結婚と離婚、そして公表しづらい過去の後悔まで、包み隠さず語ってきた姿勢からは、有馬さんの誠実さがにじみ出ているように感じます。
華やかな交際遍歴を武勇伝のように語る芸能人も少なくない中で、有馬さんは「失敗でした」とはっきり言い切っており、その率直さが逆に強い印象を残します。
梨園の妻としての激務、実業家の夫の借金、そして公表した過去の後悔と、有馬さんの結婚にまつわるエピソードにはどれも共通して”自分の意思をどこまで貫けるか”というテーマが流れているように感じます。
誰にでも打ち明けられるわけではない過去を、自らの言葉で語れる強さこそ、女優・有馬稲子という人の芯の太さなのかもしれませんね。
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まとめ
ここまで、有馬稲子さんの2度の結婚と離婚について見てきました。
萬屋錦之介さんとの結婚生活も、河村三郎さんとの再婚生活も、それぞれに世間の注目を集めながら、想像以上に厳しい結末を迎えていたことが分かりました。
2つの結婚から得た苦労は決して小さくなかったはずですが、それを糧にして女優としてのキャリアを積み重ねてきたことも、また事実です。
それでも前を向いて歩み続けてきたからこそ、今の有馬稲子さんがあるのでしょうね。
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