元フジテレビアナウンサーとして90年代を駆け抜け、退社後はナレーターとして声の仕事を極めてきた近藤サトさん。
最近の近藤さんを真っ先にイメージするのはニュースを読む姿ではなく、あの美しいグレイヘアなのではないでしょうか。
白髪を染めずそのまま生きるという選択は、当時のテレビ業界では前例がほとんどなく、正直かなり勇気のいる決断だったようです。
しかも近藤さんがグレイヘアに至ったきっかけは、美容への挑戦というよりも、もっと生々しい「防災」の話だったというから驚きます。
染めるのをやめた後も、鏡の前で自分自身にショックを受けたり、事務所の社長から思わぬ言葉をかけられたりと、一筋縄ではいかない道のりがあったのだとか。
本日の記事では、近藤サトさんが白髪を染めるのをやめた本当のきっかけと、そこから見えてきた生き方の変化について調べてまとめてみました。
- 一体なぜ?防災グッズがきっかけだったグレイヘア宣言の裏側
- 鏡を見て「おばあさんだ」とショックを受けた近藤サトの本音とは
- 劣化したと言われる覚悟の先に待っていた、まさかの反響
それでは、どうぞ!


近藤サトが白髪にしたのは防災
近藤さんの代名詞ともいえるグレイヘアですが、公表したのは2018年のことだったようです。
どういったいきさつだったのでしょうか?
美容院に行けなくなったときのために、と買い足そうとした毛染め剤
近藤さんによれば、白髪はもともと美容院で染めてもらっていたそうです。
「震災で美容院へ行けなくなったときのために」と薬局で毛染め剤を買って備えようとしたとき、「白髪を世間にバラしてはいけない」と自分が思っていることに気づいて(CHANTO WEBより)。
このエピソード、正直かなり刺さるものがあります。
非常時に人のことなど省みず「自分さえよければいい」という行動に走りかけていた自分に気づいてしまった、というのが近藤さんの述懐です。
「いかんいかん、もうやめよう」と思ったのがきっかけだった、というから、グレイヘア移行の始まりは美容の話ですらなかったわけですね。

女性アナウンサーという仕事が背負っていた「若々しさ」のフレーム
近藤さんは、女性アナウンサーという仕事は「若々しさ」を売りにしていたと振り返っています。
そのフレームに収まり続けるためには努力をし続けないといけない、ということ自体がしんどくなってきていたようです。
この感覚は、テレビに映る仕事をしていた人ならではの重みを持っているように感じます。
個人的には、防災用品を買い足そうとした一瞬の迷いが、女性アナウンサーという枠組みそのものへの違和感に接続していく流れが興味深いです。
小さなきっかけの奥に、ずっと積み重なっていた本音が隠れていたのではないでしょうか。
近藤が鏡の中に「おばあさん」を見た日
白髪を染めるのをやめてから、近藤さんにはある葛藤があったといいます。
鏡を見たときに「あ、おばあさんだ」ととっさに思ってしまったのだそうです。
鏡を見るたびに「おばあさんがいる!いやいや、私だ」(CHANTO WEBより)。
笑い話のように語られていますが、当時はルッキズムという言葉すらまだ一般的ではなかった時代です。
「10歳若見え」のような言葉がメディアであふれていた空気のなかで、近藤さん自身も気づかないうちにステレオタイプに染まっていたのかもしれません。
世間からどう思われるかについても、近藤さんはあらかじめ心の準備をしていたようです。
白髪をオープンにしたら「劣化した」などと言われることは想定していました(CHANTO WEBより)。
白髪でテレビに出る決断をしたとき、事務所の社長からはこんな言葉をかけられたそうです。
テレビというフレームからは外れますが、いいですか(CHANTO WEBより)。
それまでの近藤さんには「美魔女的な元女子アナの王道」というイメージがあったため、白髪にすればオファーがなくなるだろうという読みだったようです。
近藤さんはそれでも「テレビで顔は出さなくてもいいです」と答え、白髪をオープンにする道を選びました。
世間からの反応より、自分自身のなかでのリハビリに時間がかかった、という言葉には、覚悟の重さがにじんでいる気がします。

世間の反応は「完全にスルー」
近藤さんが初めて白髪でテレビに出演したのは東京ローカルの番組だったそうです。
「みんなどう思うかな」「びっくりするかな」とワクワクしながらスタジオに入ったものの、結果は誰も白髪に触れないという拍子抜けな展開だったのだとか。
フジテレビの「バイキング」に出演した際には、坂上忍さんから「いいね」という言葉をかけられたそうです。
ただ「自分には真似できない」ともおっしゃっていたのだとか。
プロレスラーの蝶野正洋さんからは率直な感想を伝えられたようです。
蝶野さん「サトさん、僕は黒い髪のほうが好きだよ」
近藤さんはこの反応について「ご自身の理想を口にしてくださるのはすばらしい」と前向きに受け止めています。
テレビの現場だけでなく、活字メディアでも近藤さんの白髪は話題になったようです。
白髪にしたときは「もうテレビには出られなくてもいい」と思っていたのに、結果的にはテレビ出演のオファーをたくさんいただいちゃいました(CHANTO WEBより)。
また、白髪で出演するようになった当初、近藤さんには「着るものがない」という別の悩みが出てきたそうです。
ナレーター専門の事務所にはヘアメイクさんもスタイリストさんもいないため、着物で出ようかという発想になったのだとか。
この発想の転換から、近藤さんの着物姿がすっかり定着していったというのは、なんとも近藤さんらしいエピソードですよね。
ただし一部の番組では「着物はやめてください」と言われたこともあったそうです。
離婚歴と着物姿が結びつけられてしまうというのは、テレビの世界特有のステレオタイプの根深さを物語っているように思います。
グレイヘアがくれた「マルチ・ステージ」という生き方
近藤さんは現在の活動について、経営学者リンダ・グラットンが提唱する「マルチ・ステージ」という考え方を引き合いに出しています。
ナレーターとしてのステージ、タレントとしてのステージ、着物のステージ、プライベートのステージと、複数の顔を同時に持つことが生きやすさにつながっているのだそうです。
ひとつの「若々しさ」という物差しに縛られるのをやめたことが、結果的に近藤さんの活動の幅そのものを広げたのではないでしょうか。
個人的には、防災用品店の毛染め剤ひとつから始まった小さな違和感が、7年以上かけて「マルチ・ステージ」という言葉にまでたどり着いたことに、静かな凄みを感じます。


劣化したと言われる覚悟をしていたはずが、フタを開けてみればオファーが増えていったというのも、近藤さんらしい飄々とした運の強さなのかもしれません。
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まとめ
近藤サトさんの白髪、グレイヘアへの道のりについてまとめてきました。
防災用品を買い足そうとした瞬間の違和感から始まり、鏡の前でのリハビリを経て、いまでは着物とグレイヘアがトレードマークになるまでの流れは、聞けば聞くほど味わい深いものがあります。
世間の目よりも自分自身と向き合う時間の方が長かった、という近藤さんの言葉には、多くの女性が共感できる部分があるのではないでしょうか。
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