元フジテレビアナウンサーで、現在はグレイヘアのナレーターとして活動する近藤サトさん。
私生活では穏やかな家庭を築いていることで知られていますが、その前にはかなり波乱含みの結婚と離婚を経験していたようです。
お相手は歌舞伎役者さんで、ふたりの馴れ初めには当時世間を騒がせた不倫報道が絡んでいたのだとか。
実はこの歌舞伎役者さん、当時すでに結婚していて、奥さんとの間に3人のお子さんもいたのだそうです。
つまり近藤さんが略奪したという過去が!
本日の記事では、近藤サトさんの元旦那について、出会いから結婚、そして離婚に至るまでの経緯を調べてまとめてみました。
- 近藤サトの元旦那は誰?歌舞伎界の名門出身だったその正体
- 不倫報道からまさかの略奪婚へ。ふたりが結ばれるまでの流れ
- たった1年7ヶ月で離婚した理由に見え隠れする梨園の掟
それでは、どうぞ!


近藤サトの元旦那は歌舞伎俳優・坂東三津五郎さんだった
近藤サトさんの元旦那として知られているのは、歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんです。
坂東さんは歌舞伎の名門に生まれ、舞台はもちろんテレビでも活躍していた人気役者でした。
なお、当時の坂東さんは「五代目坂東八十助」という名前で活動しており、「坂東三津五郎」を襲名するのはもう少し先の話になります。

この記事では分かりやすさを優先して、のちの名跡である「坂東三津五郎」で統一して呼んでいきます。
近藤さんとの出会いは、フジテレビの教養番組「ワーズワースの冒険」だったと言われています。
坂東さんはこの番組にレギュラー出演しており、そこで近藤さんと親交を深めていったようですね。
坂東さんといえば、後に「喜撰」の喜撰法師や「魚屋宗五郎」の宗五郎などを当たり役とし、日本芸術院賞や紫綬褒章にも輝いた実力派の歌舞伎俳優です。
番組共演がきっかけで距離が縮まっていくという展開は、恋愛ドラマさながらの始まり方だったのかもしれません。
1996年、フライデーが報じた「密会不倫」
当時、坂東さんにはすでに宝塚歌劇団出身の寿ひずるさんという妻がいて、3人のお子さんにも恵まれていました。
ところが1996年12月、週刊誌フライデーが近藤さんと坂東さんの密会を報じてしまいます。
世間からすれば、家庭のある人気歌舞伎役者と人気女子アナウンサーの不倫報道ですから、かなりのスキャンダルだったことは想像に難くありません。
この報道をきっかけに、坂東さんと寿さんの夫婦関係は急速に冷え込んでいったようです。

略奪婚の末、ついに入籍。しかし幸せは長く続かなかった
不倫報道からおよそ3ヶ月後の1997年3月、坂東さんと寿さんは離婚しています。
そして約1年半後の1998年11月、近藤さんと坂東さんはついに結婚しました。
世間を騒がせた末の結婚だっただけに、当時はかなり注目を集めたことでしょう。
梨園という特殊な世界に飛び込んだ近藤さんですが、そこには想像以上に厳しいしきたりが待っていたようです。
前妻から梨園の妻の座を奪う形になったこともあり、坂東家の親族や後援会、ご贔屓筋からの視線はかなり厳しかったと言われています。
結婚直後、坂東さんのご両親が相次いで亡くなるという出来事も重なってしまいました。
このとき近藤さんは「あいつは縁起の悪い女だ」といういわれのない批判まで浴びせられたのだそうです。
本人にはどうしようもない不幸な偶然が、心無い言葉のかたちで降りかかってしまったというのは、聞いていてやりきれない気持ちになります。
華やかな入籍のニュースの裏で、すでに暗雲が立ち込め始めていたのかもしれません。
結婚生活はわずか1年7ヶ月
近藤さんと坂東さんの結婚生活は、2000年6月についに終止符を打つことになります。
入籍から数えると、実質1年7ヶ月というスピード離婚でした。
離婚会見で近藤さんは、子どもについて印象的な言葉を残しています。
子供ができることを強く望んだが、だれかの意思によって阻まれた(デイリースポーツより)。
坂東家にはすでに跡取りとなる長男がいたため、近藤さんとの間に男児が生まれた場合、跡目争いが起きかねないという事情があったと報じられています。
梨園から「子づくりを禁止」されたことが離婚の一因になった、というのが当時の週刊誌の見立てだったようです。

伝統芸能の世界ならではの跡目という壁が、ふたりの結婚生活を短くしてしまったのだとしたら、なんとも切ない話ですよね。
個人的には、不倫報道という強い逆風のなかで結ばれた関係が、今度は伝統という別の重しに押しつぶされてしまったように見えて、皮肉なものを感じます。
20年以上経った今も追いかけてくる「元旦那」というワード
離婚から20年以上が経過した今でも、近藤さんの名前を検索すると「元旦那」という言葉がセットで出てくることが少なくありません。
坂東家の側でも、この結婚が長らく複雑な話題として扱われていたようです。
坂東さんはその後、2001年に十代目坂東三津五郎を襲名し、歌舞伎界の中心的な存在として活躍を続けました。
しかし2015年2月、膵臓がんのため59歳の若さで亡くなっています。
その死去のあと、長男の巳之助さんが「近藤サトの名前はいまだにタブー」と語ったと報じられたこともありました。
かつて短い結婚生活をともにした相手の早すぎる別れを、近藤さんはどのような思いで受け止めたのでしょうか。
近藤さんが着物姿でテレビ出演しようとした際、番組サイドから待ったがかかったこともあったそうです。
前のだんなさんとも離婚したのになぜ着物?と余計な情報を与えてしまうから(CHANTO WEBより)。
20年以上前の結婚と離婚が、まったく関係のない着物姿の話題にまで影を落とし続けているというのは、なかなか衝撃的な事実です。
伝統芸能の世界での結婚というものが、想像以上に長く人生についてまわるのだと、あらためて感じさせられるエピソードでした。
梨園の妻から、ひとりの表現者へ
梨園に嫁いだ女性には、着物の着こなしや所作、後援会とのお付き合いなど、一般家庭とは比べものにならない作法が求められると言われています。
近藤さんがこの時期に本格的に着物と向き合ったのだとすれば、後年グレイヘアとともに着物姿がトレードマークになっていったことにも、どこか納得できるものがあります。

離婚という結果だけを見ればつらい経験だったはずですが、そこで培った所作や美意識が、巡り巡って今の近藤さんを形づくる一部になっているのかもしれません。
わずか1年7ヶ月という短い結婚生活が、その後20年以上にわたるキャリアの土台のひとつになっていたのだとしたら、人生というのは本当にわからないものですね。
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まとめ
近藤サトさんの元旦那・坂東三津五郎さんとの結婚から離婚までの経緯についてまとめてきました。
不倫報道から始まった略奪婚、そしてわずか1年7ヶ月というスピード離婚の裏には、梨園という世界ならではの跡目のしきたりがあったようです。
20年以上が経過した今も、この結婚は近藤さんのキャリアのあちこちに影を落とし続けているのかもしれません。
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