「乙女のワルツ」。
アイドル歌謡では珍しい3拍子の旋律に、少女の切ない恋心を乗せた、1975年の名曲です。
作詞は阿久悠さん、作曲は三木たかしさん。
昭和歌謡を代表する黄金コンビが、17歳の伊藤咲子さんに用意した1曲でした。
ところがレコーディングの現場では、大作曲家の口から、なかなか「OK」が出なかったといいます。
のちに中森明菜さんまでもがレコーディングした名曲の、知られざる裏側に迫ります。
本日の記事では伊藤咲子さんの代表曲「乙女のワルツ」について調べてまとめてみました。
この記事を読めば、下記の内容について、知ることが出来ます。
- 三木たかしさんのOKがなかなか出ない!録音に1カ月以上かかった衝撃の理由とは?
- 17歳の少女が背負った”難曲”のプレッシャー、そして叩かれた指輪事件とは?
- 中森明菜さんまで歌った名曲が、半世紀たった今も愛され続ける理由とは?
それでは、どうぞ!


伊藤咲子「乙女のワルツ」はどんな曲?基本データ
「乙女のワルツ」は1975年7月5日に発売された、伊藤さんにとって5枚目のシングルです。
作詞は阿久悠さん、作曲・編曲は三木たかしさん。B面は「紅い花」でした。
阿久さんの詞は少女の揺れ動く心情を繊細に描き、三木さんのメロディがそこにドラマチックな広がりを加えています。
先行ヒット「木枯しの二人」から続く黄金コンビ
阿久さんと三木さんのコンビがヒットを出したのは、実は「乙女のワルツ」が初めてではありません。
1974年12月発売の第3弾シングル「木枯しの二人」も、阿久悠さんと三木たかしさんの作品です。
咲子さんは、「木枯しの二人」が自身の歌の中で最も売り上げ枚数を伸ばした曲だと語っています。

その勢いに乗って発売されたのが「乙女のワルツ」でした。
オリコンチャートでの最高順位は24位、売り上げは約13.3万枚とされています。
爆発的な1位獲得とまではいかなくても、これだけの数字を残したのは、確かな支持があった証拠でしょう。
アイドル曲としては異例の「3拍子」
音楽ブログ「wishy-washy」のレビューでは、この曲がアイドルソングとしては異例の3拍子で作られていることが指摘されています。
「乙女」というコンセプトと「ワルツ」の相性がよく、詞・曲・歌の三拍子が高いレベルでそろった見事な歌謡曲だと評されています。
三木さんは、石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」やわらべの「もしも明日が…。」などで知られる作曲家です。
ワルツを素材に歌謡曲を仕上げるのが得意で、岩崎宏美さんの「あざやかな場面」やわらべの「めだかの兄妹」も同じ系統の名曲として挙げられています。
得意分野を知り尽くした作曲家が、全力で仕掛けた3拍子だったからこそ、歌う側にも相当な技量が求められたのでしょう。
音楽ブログ「wishy-washy」のシングルレビューでは、「乙女のワルツ」のデータや楽曲としての完成度が紹介されている(wishy-washyより)。
三木たかしさんのOKが出ない…録音に1カ月以上かかった裏側
この曲にまつわる最大のエピソードが、レコーディング時の裏側です。
東京新聞の連載「私の東京物語」で、咲子さん本人がこう振り返っています。
「乙女のワルツ」はスケールが大きく難しい曲だったため、三木さんからなかなかOKが出ず、録音に1カ月以上かかったというのです。
17歳の少女には重すぎた? 大人の歌への挑戦
1975年7月の発売時、咲子さんは17歳になったばかりでした。
同世代のアイドルが可愛らしさを前面に出した曲を歌う中、あえてスケールの大きな難曲に挑んだことになります。
そういえば咲子さんは、スター誕生の再挑戦でも、15歳には大人っぽすぎる朱里エイコさんの曲で370点を叩き出した少女でした。
背伸びをして難しい曲に挑むのは、咲子さんにとって「いつものこと」だったのかもしれません。
通常のシングル制作であれば、レコーディング自体は数日で終えることも珍しくないと言われています。
それと比べても1カ月以上という期間は、異例の長さだったはずです。
何度も歌い直しを求められる日々は、体力的にも精神的にも相当にきつかったのではないでしょうか。

それでも投げ出さなかったからこそ、今も歌い継がれる完成度に仕上がったのだと感じます。
指輪をはめて頬を叩かれた? 三木たかしさんの厳しさ
三木さんの厳しさをうかがわせる、もう一つの有名なエピソードがあります。
当時10代の咲子さんは、同じスタ誕出身の城みちるさんと交際していました。
城さんからもらった指輪を左手の薬指にはめていた咲子さんに、三木さんは「結婚してないのにおかしいよ」と注意します。
しかし咲子さんは「ハーイ、すみません」と軽く受け流してしまいました。
ある日、ショー出演のため三木さんと浜松へ向かう待ち合わせで、咲子さんが指輪のまま現れると、三木さんは丸めた雑誌で咲子さんの頬を叩いたと伝えられています。
咲子さんは「何コレ?と思いました。親にも叩かれたことないのに」と怒ったそうです。
曲づくりにも、立ち居振る舞いにも妥協しない。それが三木さんの流儀だったのでしょう。
納得いくまでOKを出さなかった録音と、指輪を許さなかった叱責は、どちらも「ファンの夢を預かる歌手」としての自覚を求めたものだったと考えると、一本の線でつながります。
「乙女のワルツ」がもたらした栄誉と、その後の広がり
この曲のヒットにより、咲子さんは日本テレビ音楽祭で、デビュー2年目の歌手に贈られる「金の鳩賞」を受賞しました。
さらに年末の日本歌謡大賞では、放送音楽賞に選ばれています。
夏に発売された1曲が、年末の大きな賞レースまで評価され続けたことになります。
中森明菜さん、クミコさんもレコーディング
「乙女のワルツ」は、咲子さんにとって今もコンサートで欠かせない1曲です。
のちに中森明菜さんと、シャンソン歌手のクミコさんもこの曲をレコーディングしています。
時代もジャンルも異なる歌い手たちが挑んだという事実が、旋律の力を何よりも物語っています。
三木たかしさんの未発表曲「プルメリアの涙」へ
咲子さんは、3作目の「木枯しの二人」以来、三木さんの曲を数多く歌ってきました。
2016年のインタビューでは、三木さんの未発表曲を新曲「プルメリアの涙」として歌うことになり、新しい表現に挑戦したと語っています。

B面には、阿久悠さんと三木たかしさんが手がけた「たそがれに愛をこめて」(八千代少年少女合唱団版も収録)を収め、次の世代にも合唱曲として受け継がれてほしいと願っているそうです。
三木さんは2009年に急逝されています。
それでも、没後に未発表曲を歌う咲子さんの姿からは、亡き恩師と今も一緒に歌っているような、深い絆が伝わってきます。
個人的には、1カ月以上かかった録音の記憶が、40年以上たった今も「宝物」として歌に息づいているように思えてなりません。
簡単には手に入らなかったからこそ、その曲への愛着は人一倍強くなる。咲子さんの歌い続ける姿勢は、そのことを教えてくれるようです。
難しい曲に真正面から挑み続けた結果として生まれたヒットだったことを思うと、「乙女のワルツ」は17歳の伊藤咲子さんが、プロの歌手として覚醒した1曲だったと言えるのではないでしょうか。
伊藤咲子さんの若い頃についての記事と、現在についての記事も書いています!ぜひご覧ください↓


まとめ
ここまで、伊藤咲子さんの代表曲「乙女のワルツ」の制作秘話について見てきました。
三木たかしさんからなかなかOKが出ず、録音に1カ月以上かかったからこそ、半世紀たった今も語り継がれる名曲になったのでしょう。
金の鳩賞や放送音楽賞といった受賞歴に加え、中森明菜さんやクミコさんのカバーも、楽曲の完成度の高さを裏付けています。
聴き馴染みのある曲でも、その裏側を知るとまた違った味わい方ができますね。
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