輝かしいヒット曲の数々を世に送り出した、その後。
伊藤咲子さんの人生は、歌手という肩書きだけでは語りきれないほど波乱に満ちたものでした。
結婚を機に歌の舞台を離れ、夫の店のママとして、まったく違う世界で働いた時期もあったといいます。
そして40代前半には、手術と店じまいという大きな試練が待っていました。
それでも、ひとつの偶然の再会と、ファンの励ましが、再び咲子さんをステージへと導きます。
本日の記事では伊藤咲子さんの現在について調べてまとめてみました。
この記事を読めば、下記の内容について、知ることが出来ます。
- 31歳でまさかの転身!歌手から飲食店のママになった理由とは?
- 手術、店じまい、離婚…どん底の咲子さんを救った”ファンの書き込み”と”恩人との再会”とは?
- 50周年記念コンサートのチケットが40分で完売!今も愛され続ける理由とは?
それでは、どうぞ!


伊藤咲子は現在何してる?結婚と引退、31歳で飲食店のママに
1989年、咲子さんは飲食店を経営する実業家の男性と結婚し、歌手活動を休止します。
お相手は11歳年上だったと伝えられています。
結婚から間もない31歳のとき、夫の勧めで夫が経営する会員制クラブのママに転身しました。
歌手から経営者へ、まったく違うフィールドでの挑戦
歌手として第一線で活躍してきた人が、お客様を迎える側に回るのは、簡単な決断ではなかったはずです。
接客から店の切り盛りまで、歌手時代とはまったく違うスキルが求められる世界です。
かつてのファンが店を訪れ、ママとして立つ咲子さんと再会する、という場面もあったかもしれませんね。
歌手時代に培った人前での振る舞いや気配りは、接客業でもきっと活きていたことでしょう。

表舞台から一歩退いた形にはなりましたが、人と関わる仕事を選んだこと自体に、咲子さんらしさが表れているようにも感じます。
30代から続いた婦人病との闘い、41歳で手術と店じまい
実は、結婚前後の時期から、咲子さんの体には異変が起きていました。
熟年向けの生活情報サイト「熟年ばんざい」のインタビューによれば、咲子さんは30代前半から9年間、婦人病と闘ったそうです。
きっかけは、人間ドックで見つかった小さな筋腫でした。
そのまま放置してしまったことが、後の長い苦しみの原因になったと、本人は振り返っています。
41歳で手術、急性腎盂腎炎も併発し店を畳む
41歳のとき、咲子さんは手術を受けることになります。
報道では子宮内膜症や子宮筋腫などと伝えられており、さらに急性腎盂腎炎も併発しました。
その結果、店も畳むことになったといいます。
病気と、店という居場所の喪失。二重の苦しみを同時に背負った日々は、想像するだけで胸が痛みます。
それでも咲子さんは、のちの取材で「笑って過ごすもブスーッとして過ごすも同じ時間です」と語っています。
つらい時こそ、鏡を見て口角を上げる。そうして「全て気の持ちようですから」と笑う強さは、闘病の日々で身につけたものなのかもしれません。
失意の中で出会った、ファンサイトの励まし
失意の中にいた咲子さんの目に留まったのが、ファンの人たちが作ったウェブサイトでした。
そこに並んでいた励ましの書き込みを読み、「もう一度歌いたい」という気持ちが少しずつ芽生えていったそうです。
かつて自分の歌を聴いてくれていた人たちが、長いブランクがあっても待っていてくれた。
その事実は、どれほど心強かったことでしょう。
歌手復帰|朱里エイコさんとの再会が背中を押した
復帰のもう一つのきっかけは、思いがけない再会でした。
休業中、「あの人は今」のような番組から出演のオファーを受けた咲子さん。
台本に、あの朱里エイコさんの名前があったことが、出演を決める理由になったそうです。
スタ誕に挑戦するとき、咲子さんが歌い方をまねた憧れの歌手が朱里さんでした。
「伊藤咲子がひとりでスタジオ入りしてちゃダメだよ」
局のスタジオで会った朱里さんは、年齢を重ね、病気の影響もあってか、咲子さんが想像していた姿とは少し違っていたそうです。
そのとき朱里さんのマネージャーを務めていたのが、現在の事務所の社長・合田道人さんでした。

合田さんは咲子さんにこう声をかけたといいます。「伊藤咲子がひとりでスタジオ入りしてちゃダメだよ」。
悩んだ末、咲子さんは2003年に歌手活動を再開しました。
本人は「朱里さんの名前が台本になければ出演せず、合田さんとも会わず、復帰もしなかっただろう」と語り、朱里さんを「2度のデビューの恩人」と呼んでいます。
復帰後に朱里さんが亡くなったことを、咲子さんは「早すぎる」と悼んでいます。
最初のデビューのきっかけも、復帰のきっかけも、朱里エイコさんだった。
運命的な縁というほかありません。
49歳での離婚、そして再婚へ
復帰後の咲子さんは、49歳のとき、約18年連れ添った夫と離婚しています。
その後、会社員の男性と再婚し、2010年12月にはシングル「女の歌」を発売しました。
病気のときも、離婚のときも、咲子さんは基本的に笑顔でいたと、熟年ばんざいのインタビューで語っています。
結婚・引退・闘病・復帰・離婚・再婚と、これほど多くの転機を経験した歌手は、そう多くはないはずです。
それぞれの出来事を一つひとつ乗り越えてきたからこそ、咲子さんの歌声には深みが増しているのかもしれません。
熟年向け生活情報サイト「熟年ばんざい」のインタビューでは、伊藤さんの闘病や、歌手として全国を回る現在の活動、人生観が紹介されている(熟年ばんざいより)。
2012年、26年ぶり「レッツゴーヤング」で城みちるさんと再び
2012年11月には、26年ぶりに復活した「レッツゴーヤング」のコンサートに出演しました。
10代の時交際していた城みちるさんとステージに並び、「私たち付き合っていました」と笑顔で明かしています。
ともに離婚や再婚を経験した二人は、今では同じ事務所に所属し、同窓会コンサートなどで共演する「心友」です。
人生の浮き沈みを経たからこそ、笑って過去を語れる関係になれたのでしょう。
現在の伊藤咲子さん|2024年に歌手生活50周年
2024年、歌手生活50周年を迎えた咲子さん。
11月27日には、50周年記念アルバム「それいゆ」を日本コロムビアから発売しました。

記念コンサートのチケットは、なんと40分で完売。会場は、2003年の復帰コンサートと同じホールで、古くからのファンの要望で実現したそうです。
2014年には日本コロムビアに移籍し、2019年には阿久悠さんの未発表曲も世に送り出しています。
年間約100本のコンサート、「あと50年頑張る」
2016年の時点で、咲子さんは年間約100本のコンサートのため全国を回っていました。
「みんながペンライトを振ってくれ、昔と同じ雰囲気の中、すごく気持ちよく歌えます」と語り、コンサートでは「あと50年頑張る」と宣言していたそうです。
50周年を迎えた2024年は、その宣言から約8年。68歳となった今も、冗談ではなく本気だと思わせてくれる活躍ぶりです。
池文さん夫妻を「芸能界のお父さん、お母さん」と慕って
スタ誕ファミリーの結束も、今なお固いそうです。
50周年コンサートの前日には、「池文」こと池田文雄さん夫妻の墓参りに、スタ誕出身の歌手や番組スタッフが集まり、3次会まで続いたといいます。
咲子さんは池田さん夫妻を「芸能界のお父さん、お母さん」と呼んでいます。
一度落ちた少女を「もう一回来ないか」と呼び戻してくれた人を、半世紀たっても父のように慕っている。
この義理堅さこそが、咲子さんが長く愛される理由の一つではないでしょうか。
結婚・引退・闘病・復帰・離婚・再婚という波乱に満ちた人生を乗り越えてなお歌い続けている姿は、多くの人に勇気を与えてくれます。
若い頃に紅白の舞台に立った少女が、店のママとしての苦労も病気との闘いも経験した末に、還暦を過ぎてなお現役の歌手であり続けている。
この事実だけでも、十分にドラマティックな人生だと言えるのではないでしょうか。
伊藤咲子さんの若い頃についての記事と、乙女のワルツについての記事も書いています!ぜひご覧ください↓


まとめ
ここまで、伊藤咲子さんの現在の姿について見てきました。
結婚による引退、店のママとしての日々、闘病、そして朱里エイコさんとの再会をきっかけにした歌手復帰と、一つひとつの転機を乗り越えて今の咲子さんがあることが分かりました。
50周年コンサートのチケットが40分で完売したことは、待ち続けたファンの存在の大きさを物語っています。
「あと50年頑張る」という言葉どおり、これからも歌い続ける姿を応援していきたいですね。
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