深夜番組の顔といえば、今も第一線で活躍するタモリさんを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
実はそのタモリさんが世に出るよりずっと前、学生時代にその司会ぶりを褒めていた先輩がいたと言われています。
それが「クイズダービー」や「11PM」で知られる、昭和の名物司会者・大橋巨泉さんです。
二人の間には、同じ早稲田大学出身という共通点と、ちょっと意外な”声の秘密”にまつわる逸話があったそうです。
知れば知るほど、テレビの歴史は人と人の思いがけないつながりでできているのだと実感させられます。
本日の記事では大橋巨泉さんとタモリさんの関係について調べてまとめてみました。
この記事を読めば、下記の内容について、知ることが出来ます。
- 大橋巨泉さんとタモリさんの出会いのきっかけ
- 二人の声がそっくりだと言われる意外な理由
- 早稲田つながりで見えてくる、二人の生き方の共通点
それでは、どうぞ!


大橋巨泉とタモリの出会いは早稲田大学のラジオ番組だった
タモリさんの本名は森田一義さんといい、早稲田大学第一文学部に在籍していたことがよく知られています。
当時は中退するまでモダンジャズ研究会に所属し、仲間たちとジャズに打ち込む学生だったそうです。
九州の大学から転学してきたという経歴もあり、当時から独特の存在感を放つ人物だったと言われています。
『大学対抗バンド合戦』で見せた司会ぶり
そのモダンジャズ研究会時代、タモリさんはラジオ番組「大学対抗バンド合戦」に出演したことがあったと伝えられています。
このとき司会を務めていたのが、放送作家からテレビの顔へと駆け上がりつつあった、若き日の大橋巨泉さんでした。
巨泉さんはタモリさんの司会ぶりを気に入り、褒め言葉をかけたというエピソードが残っています。
まだ”森田一義”だった学生時代
後にブレイクするきっかけとなった福岡での山下洋輔さんとの伝説的な出会いは、まだこの数年先のことです。

つまり巨泉さんは、世間がタモリさんの才能にまだ気づいていなかった頃から、その話芸のセンスを感じ取っていた一人だったことになります。
売れる前の人の良さに気づける人というのは、本物の”目利き”なのだろうと、ごしこは素直に感心してしまいます。
一方の巨泉さんも、もともとはジャズ評論家や放送作家として活動していた人で、芸能界の生え抜きというよりは”言葉の仕事”から叩き上げてきた経歴の持ち主でした。
ジャズという共通の素養があったことも、二人の間にどこか波長が合う空気を生んでいたのかもしれませんね。
声質そっくり?ものまね芸人が気づいた意外な共通点
もうひとつ、二人をめぐる面白いエピソードがあります。
巨泉さんは生前、タモリさんの声質や話し方が自分とよく似ていると語っていたそうです。
この指摘をヒントに、ものまね芸人のコージー冨田さんがタモリさんのものまねを完成させ、その延長として巨泉さんのものまねも手がけるようになった、という逸話が伝えられています。
言われてみれば、どちらも低く落ち着いた声で、淡々とした語り口の中にユーモアを滲ませる話し方という点は、どこか通じるものがある気もしますね。
声も含めて”芸風”として完成させてしまうあたりに、ものまね芸人という仕事の奥深さを感じます。
二人が直接共演する機会がどれほどあったのかは定かではありませんが、少なくともテレビの向こう側では、こうした形でしっかりつながっていたようです。
ものまね芸人という仕事は、対象の表情や仕草だけでなく、声の出し方のクセまで丸ごと研究し尽くす必要があると聞きます。
そのプロの目から見て「似ている」と判断されたというのですから、二人の声質の近さは、思いつきのエピソードというよりも、かなり説得力のある話なのではないでしょうか。
同じ早稲田出身、テレビ界を駆け抜けた二人の生き方
大橋巨泉さんもまた、早稲田大学新聞学科の出身でした。
クラス会には多忙な中でも必ず顔を出していたそうで、学生時代の仲間を大切にする人だったことがうかがえます。

11PMとタモリ倶楽部、深夜番組の先駆けと後継
巨泉さんが顔として支えた「11PM」は1965年にスタートし、マージャンや競馬、釣りなど大人の娯楽を扱う深夜番組の先駆けとなりました。
一方のタモリさんも、1982年スタートの「タモリ倶楽部」をはじめ、深夜ならではの自由な空気を活かした番組で長く支持を集めています。
ジャンルも作り方も違いますが、”深夜の時間帯だからこそできる面白さ”を切り拓いたという点では、二人は同じ系譜に連なる存在と言えるのではないでしょうか。
11PMでは麻雀やモーターボート、釣りといった、それまでゴールデンタイムでは扱いづらかった大人の趣味を真正面から取り上げ、深夜ならではの自由さを早くから打ち出していました。

タモリ倶楽部もまた、視聴率の数字よりも出演者とスタッフの”好き”を優先するようなマニアックな企画で知られ、深夜番組らしい自由さを今に受け継いでいます。
巨泉さんが遺した言葉
巨泉さんは「野球は巨人、司会は巨泉」というキャッチフレーズで一時代を築きましたが、その座を次に引き継いだのは一人ではなく、タモリさんを含む数多くの後進たちだったように思います。
早稲田の学生ラジオで才能の芽を見つけ、そこから数十年後にはお互いがテレビ界を代表する顔になっていた・・・
そう考えると、二人の関係は単なる先輩後輩というより、時代をまたいだバトンリレーのようなものだったのかもしれません。
ごしこ個人としては、こういう”陰の功労者”のようなエピソードを知るたびに、芸能界の奥深さをあらためて感じさせられます。
表舞台で派手にスポットライトを浴びる人の陰には、必ずと言っていいほど、早い段階でその才能に気づいていた誰かがいるものなのかもしれません。
大橋巨泉さんというと「クイズダービー」の司会者という印象が強い方も多いと思いますが、こうして振り返ると、テレビの歴史そのものを静かに動かしていた人でもあったのだと感じます。
大橋巨泉さんの死因や、クイズダービーの記事も書いています!ぜひご覧ください↓


まとめ
大橋巨泉さんとタモリさんの関係をたどると、早稲田大学時代の出会いと、声質が似ているという意外な共通点が見えてきました。
売れる前のタモリさんの司会ぶりを見抜いていたエピソードからは、巨泉さんの”人を見る目”の確かさが伝わってきます。
深夜番組の先駆けとなった11PMと、今も続くタモリ倶楽部――ジャンルは違えど、二人がテレビの歴史に残したものは、どこかでつながっているように感じられますね。
知れば知るほど奥が深い、大橋巨泉さんとタモリさんの不思議な縁でした。
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