大橋巨泉のクイズダービーはなぜ伝説に?17年間と最高視聴率40.8%に隠された秘密

横浜経済新聞大橋巨泉画像

昭和から平成にかけて、土曜の夜7時半といえば「クイズダービー」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

大橋巨泉さんの「せーの、ドン!」という決め台詞とともに、17年間もお茶の間を沸かせ続けた伝説のクイズ番組です。

篠沢教授やはらたいらさんといった、クイズ番組の枠を超えて愛されたキャラクターを生み出したことでも知られています。

最高視聴率40.8%という、今では考えにくいような数字を叩き出したこともあったそうです。

なぜこれほどまでに長く愛され続けたのか、その秘密を知ると、巨泉さんの司会者としての手腕があらためて見えてくる気がします。

本日の記事では大橋巨泉さんとクイズダービーについて調べてまとめてみました。

この記事を読めば、下記の内容について、知ることが出来ます。

  • クイズダービーがどんな仕組みの番組だったのか
  • 篠沢教授やはらたいらさんが愛された理由
  • 17年間の人気を支えた巨泉さんの司会スタイル

それでは、どうぞ!

目次

大橋巨泉のクイズダービーとはどんな番組だった?

「クイズダービー」は1976年1月3日にスタートし、1992年12月まで続いた、TBS系列の長寿クイズ番組。

毎週土曜日の19時30分から20時という、家族そろって見やすい時間帯に放送されていました。

巨泉さんはこの番組以前から「11PM」の顔として知られていましたが、ゴールデンタイム寄りのファミリー番組でも軽妙な司会ぶりを発揮し、幅広い層に支持されるようになったそうです。

17年間愛された”競馬方式”クイズ

番組最大の特徴は、解答者を競走馬、視聴者参加の出場者をベッターに見立てた、競馬のシステムをそのまま流用した出題形式にありました。

どの解答者が正解しそうかを予想して賭ける仕組みは、普通のクイズ番組にはない緊張感と駆け引きを生み出していたそうです。

大橋巨泉クイズダービー画像
TBSより引用

こうした遊び心のある仕掛けを長寿番組の軸に据えられたあたりに、作り手側の企画力の高さを感じます。

出題されるジャンルも雑学からことわざ、時事問題まで幅広く、解答者の個性によって同じ問題でも全く違う盛り上がり方をしたそうです。

家族みんなで「自分ならどの解答者に賭けるか」を考えながら見られる仕組みだったからこそ、幅広い世代から支持を集められたのではないでしょうか。

最高視聴率40.8%という驚異の数字

番組は関東地区で最高視聴率40.8%を記録したこともあると伝えられています。

今の感覚で言えば、国民的スポーツの決勝戦に匹敵するような数字で、当時のクイズ番組人気のすさまじさがうかがえます。

この数字を17年間というロングランの中で実現し続けたのですから、単なる一発ヒットではなかったことがよく分かります。

娯楽の選択肢が今よりずっと少なかった時代とはいえ、これほど長く数字を落とさずに走り続けた番組は、クイズ番組の歴史全体で見ても珍しい部類に入るのではないでしょうか。

篠沢教授とはらたいら、名物解答者が生んだ伝説

クイズダービーを語るうえで欠かせないのが、個性豊かな解答者たちの存在!

学習院大学のフランス文学者・篠沢秀夫教授は、11年以上にわたって1枠を担当し続けた、まさに番組の顔のひとりでした。

難しい顔で考え込んだ末に飛び出す“上品な珍回答”が視聴者に愛され、クイズの正解・不正解を超えたキャラクターとして定着していたそうです。

漫画家のはらたいらさんも負けていません。

週刊女性プライム大橋巨泉と回答メンバーー画像
週刊女性PRIMEより

驚異的な的中率から「宇宙からのメッセージを受け取っている」と評されるほどで、本人もそのキャラクターを楽しんでいる様子だったと伝えられています。

1988年6月には、篠沢教授の後任として化学者の北野大さんが新たにレギュラー入りし、番組はさらに新しい顔ぶれで続いていきました。

ひとりのスター解答者に頼るのではなく、世代交代をしながら17年間も番組の熱量を保ち続けた運営には、巨泉さんをはじめとするスタッフの手腕が光っているように感じます。

女優の竹下景子さんをはじめ、歴代の解答者席にはその時代を代表するタレントが名を連ね、顔ぶれを見るだけでも当時の芸能界の勢いが伝わってくるようです。

毎回誰が珍回答を飛ばすか分からない緊張感もまた、この番組ならではの醍醐味だったのだろうと思います。

巨泉さんが司会として貫いたスタイル

これだけ個性的な出演者が揃う中で、全体をまとめ上げていたのが司会の大橋巨泉さんでした。

裏側では苦労もあったのでしょうね。

どんなスタイルで進めていったのでしょうか?

決めゼリフ「せーの、ドン!」

正解が発表される瞬間にかけられる「せーの、ドン!」という掛け声は、番組の代名詞として今も語り継がれています。

シネマトゥデイクイズダービー画像
シネマトゥデイより引用

解答者の珍回答にも視聴者の予想にも、絶妙な間合いで突っ込みを入れる巨泉さんの司会ぶりがあったからこそ、競馬方式というユニークな企画が破綻せずに成立していたのだと思います。

個人的には、出演者それぞれの”キャラの濃さ”を消さずに生かしながら全体をまとめる司会術は、今のバラエティ番組にも通じるものがあるのではないかと感じます。

博識な篠沢教授をあえて優等生キャラにしすぎず、珍回答まで含めて一人の人間として面白がる巨泉さんの間合いがあったからこそ、出演者たちも安心してキャラクターを全開にできたのでしょう。

17年間の終わりに託した思い

1992年12月の最終回には、歴代の出演者とスタッフが勢ぞろいし、「17年間 クイズダービー ありがとうございました!!」という横断幕とともに記念撮影が行われたそうです。

そこに写る顔ぶれの多さそのものが、この番組がどれだけ多くの人に支えられてきたかを物語っているように見えます。

17年という長さは、ひとつの番組としては異例の長寿と言ってよく、巨泉さんの司会者としてのキャリアの中でも、代表作と呼ぶにふさわしい仕事だったのではないでしょうか。

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まとめ

大橋巨泉さんが司会を務めたクイズダービーは、競馬方式というユニークな仕組みと17年間という長寿によって、今も語り継がれる伝説の番組になりました。

篠沢教授やはらたいらさんといった名物解答者を生かしながら番組をまとめ上げた手腕からは、巨泉さんの司会者としての実力の高さが伝わってきます。

「せーの、ドン!」の掛け声を知らない世代でも、これを読んで興味を持ってもらえたなら、ごしこもうれしく思います。

機会があれば、当時の映像もあわせてチェックしてみてくださいね。

当時を知らない世代にとっても、ここまで作り込まれた企画と司会術は、今の番組作りを考えるうえでも学べるところが多いのではないかと思います。

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