有賀さつきの娘は今どこに?顔出しNGを貫いた母が一人娘に遺したものとは?

元夫・和田圭との結婚について振り返る有賀さつき

芸能人の子どもというだけで、世間はどうしても顔や名前を知りたがります。

その圧力に、最後まで首を縦に振らなかった女性アナウンサーがいました。

元フジテレビの有賀さつきさんです。

自分はあんなに露出の多い仕事をしていたのに、一人娘のことだけは頑なに隠し通しました。

その姿勢は、有賀さんが2018年に52歳で亡くなったあとも守られています。

本日の記事では、有賀さつきさんの娘に関して報じられてきたこと、そして母が娘に遺したものについて、当時の報道をたどってまとめてみました。

この記事を読めば分かることはこちらです。

  • 有賀さつきが娘の「顔出しNG」を貫き通した徹底ぶり
  • 母と父を相次いで亡くした一人娘の、その後の暮らし
  • 祖父が語った「孫娘が元気なことだけが頼り」の重み

それでは、どうぞ!

目次

有賀さつきの娘はいつ生まれた?基本情報を整理

有賀さつきさんに娘が生まれたのは、2002年11月のことです。

元フジテレビ解説委員の和田圭さんとの間に授かった、たった一人の娘。

結婚と出産がほぼ同じ時期だったため、いわゆる授かり婚だったと有賀さん本人も認めています。

その後、有賀さんと和田さんは2006年に離婚。

このとき娘の親権を持ったのは母親の有賀さんでした。

つまり娘は、幼い頃からずっと母ひとり子ひとりで育ってきたわけです。

一人娘の顔出しを守り続けた有賀さつき
女性自身より

シングルマザーとして仕事と子育てを両立させていたわけですが、有賀さんはそのあたりを深刻に語ることはあまりありませんでした。

バラエティ番組では、娘の反抗期や思春期の話を、笑い話としてさらっと出すことはあったようです。

けれど、名前や学校、顔が分かるような情報は決して出しませんでした。

話していいことと、絶対に話さないこと。

その仕分けが、有賀さんの中では最初から決まっていたように見えます。

大変さを笑いに変えつつ、肝心なところは守る。

それが、有賀さんの子育ての流儀だったんですね。

有賀さつきが娘の「顔出しNG」を徹底したワケ

有賀さつきさんは、娘に関する情報をほとんど表に出しませんでした。

関係者の証言をもとに、そのこだわりぶりを見ていきます。

信頼できる相手からしか仕事を受けなかった

サイゾーの記事によると、有賀さんは「娘の顔出しNG」を頑なに守り、信頼できる関係者からのみ仕事を受けていたそうです。

少しでも娘に取材の手が伸びそうな仕事は、最初から引き受けなかったということです。

自分の露出は厭わないのに、子どものプライバシーには過剰なほど神経を使う。

フジテレビアナウンサー時代の有賀さつき
昭和ガイドより

この線引きは、最後の最後までぶれず。

政界からの誘いも断っていた

同じ記事では、有賀さんが政界進出のオファーを断っていたことにも触れられています。

注目される場所に自分から出ていくことを、意識的に避けていた様子がうかがえます。

売れっ子でありながら、露出をコントロールし続ける。

「隠すべきものは隠す」という価値観が、有賀さんの中にははっきりあったんでしょうね。

だからこそ、娘の名前も顔も、今もほとんど世に出ていません。

有賀さつきの娘の名前や現在は?ネットの情報を検証

検索してみると、有賀さつきさんの娘について「名前は◯◯」「大学はどこ」といった情報がいくつも出てきます。

絵の才能があるとか、夏にボストンのサマースクールへ行ったとか、留学したといった話も見かけます。

もとをたどると、多くは有賀さんの一周忌の頃に父親が受けたインタビューにたどり着きます。

父親は「インターナショナルスクールに通っている」「メディア系の勉強をしている」という趣旨のことを話していました。

ただ、娘本人が表に出て語ったものは、ひとつも見当たりません。

名前とされるものも、表記がサイトによってバラバラで、確かな一次情報は確認できませんでした。

芸能人の子どもの情報が、こうしてなんとなく広まっていく。

その典型のような状態だなと。

この記事でも、確認できないことは書かない方針でいきます。

母・有賀さつきの死後、娘はどう暮らしてきたのか

有賀さつきさんが亡くなったのは、2018年1月30日。

このとき一人娘は、まだ15歳ほどでした。

女性自身の報道によると、母の死後、娘は父である和田圭さんに引き取られています。

近所の人の証言として、父娘が楽しそうに歩いている姿がたびたび紹介されていました。

「父娘水入らずで、幸せそうだった」という知人のコメントも記事に載っています。

イベントに出席した晩年の有賀さつき
ORICON NEWSより

母を失ったあと、父との時間が娘の支えになっていたことがうかがえます。

ところが2021年6月、その和田圭さんも急性心不全のため68歳で亡くなりました。

娘は20歳前後で、両親をどちらも失ったことになります。

女性自身は、和田さんの死後しばらくして、その自宅に人が住んでいる様子がなくなったとも報じています。

多くを語れる情報はありませんが、決して平坦な10代・20代ではなかったはずです。

それでも表に出てこないのは、母が守ろうとした「静かな場所」を、娘自身も選んでいるからかもしれません。

有賀さつきの父が語った、娘(孫娘)への思い

有賀さつきさんの死後、たびたび取材に応じてきたのが、有賀さんの実父です。

一周忌の頃のインタビューで、父親は初めて娘の本当の病名を明かしました。

これまで乳がんと報じられることもありましたが、実際は卵巣がんだったといいます

亡くなる3年ほど前に手術を受け、いったんは治ったと思っていたそうです。

その父親が、孫娘についてこう語っています。

「孫娘が元気なことだけが頼り」

娘を亡くし、元義理の息子である和田さんも見送った。

高齢の父にとって、残された孫娘の存在がどれほど大きいか。

有賀さんが必死に守った「顔を出さない」という約束を、祖父もまた守り続けています。

この家族は、悲しい出来事が続いても、娘を世間の目から遠ざけるという一点だけはずっと崩していません。

その徹底ぶりに、有賀さんの子育ての芯を見る気がします。

「知られたくない」を貫いた有賀さつき、娘への姿勢とも重なる

有賀さつきさんは、自分の病気のことも周囲にほとんど明かしませんでした。

同期の八木亜希子さんとはLINEで連絡を取り合っていたのに、体調のことは伝えていなかったといいます。

入院したのは2018年1月の中旬。

点滴を受けながらも「もうすぐ退院できる」と思われていた矢先、朝方に容態が急変しました。

病名が公表されたのは、亡くなってから1年が経ったあとのことです。

自分の弱った姿を見せたくない、という気持ちがよほど強かったんでしょうね。

その感覚は、娘を世間にさらしたくないという姿勢とどこか地続きに見えます。

見せる自分と、見せない領域。

有賀さんはその線引きを、人生の最後まではっきり持っていた人。

派手な女子アナというイメージだけでは語りきれない、頑固なまでの一貫性があったんですね。

有賀さつきさんの若い頃についての記事と、有賀さつきさんの旦那についての記事も書いています!ぜひご覧ください↓

まとめ

有賀さつきさんの娘について、これまで報じられてきたことを整理してきました。

2002年に生まれた一人娘は、両親の離婚後は母子家庭で育ち、15歳で母を、20歳前後で父を亡くしています。

それでも名前も顔もほとんど世に出ていないのは、有賀さんが築いた「顔出しNG」の壁が、今も家族に守られているからです。

自分は全部さらけ出しても、娘のことだけは絶対に渡さなかった

それが、母としての有賀さつきさんが遺した一番はっきりした答えなのだと思います。

記事が面白かったら「ゴシップ神社」を是非お気に入りに登録してくださいね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次