朝のニュース番組で、アナウンサーが画面の中から本当に消えてしまった日があります。
スタジオは最初、笑っていました。
けれど数秒後、誰も笑えなくなりました。
その日から28年が経った今も、「菊間千乃」と検索すると、真っ先に出てくるのはこの事故の話なんですよね。
ただ、本人にとってあの日は”終わった出来事”ではなく、むしろ人生の出発点だったようなんです。
本日の記事では菊間千乃さんの事故について調べてまとめてみました。
この記事を読めば、下記の内容について、知ることが出来ます。
- 生放送中に5階から転落!あの朝いったい何が起きた?
- 命綱はまさかの”ソファー”に…事故の原因がお粗末すぎる
- 「26歳で死んだと思っている」事故が弁護士への道を開いた理由
それでは、どうぞ!


菊間千乃の事故とは?1998年「めざましテレビ」の生放送で起きたこと
菊間千乃さんの事故が起きたのは、1998年9月2日の朝のこと。
当時、菊間さんはフジテレビに入社して4年目の26歳でした。
すでに『笑っていいとも!』のテレフォンアナや『発掘!あるある大事典』のアシスタントで顔が売れていた、人気の若手アナウンサーだったんです。
「それ行け!キクマ」避難器具リポートの最中に
事故の舞台は、『めざましテレビ』の中継コーナー「それ行け!キクマ」でした。
菊間さんが世の中の疑問に体当たりで挑む企画で、この日は防災の日に合わせて「マンション火災のときの避難器具」を試すという内容だったそうです。
避難器具を体に装着し、マンションの5階の窓から地上へ降りていく段取り。
窓から見下ろすと人も木も小さく見える高さで、菊間さんは「高っかいんですよこれ!」と笑顔でカメラに語りかけていたとか。
そして「いきます!せーの!」の掛け声とともに窓枠から手を離した瞬間、ゆっくり降りるはずの体が一気に落ちていきました。

地上およそ13メートルからの落下で、動けなくなってしまいました。
スタジオが凍りついた数秒間
当時の様子を、エキサイトニュースはこう振り返っています。
下に敷かれたマットに叩きつけられた菊間さんを見て、スタジオの小島奈津子アナは最初「外れちゃったんだ〜」と笑っていたものの、呼びかけに反応がないことで事態の深刻さに気づいたと伝えています(エキサイトニュースより)。
つまり、あの数秒間は視聴者もスタジオも「演出なのか事故なのか」分からないまま、生放送が続いていたんですね。
現場とスタジオの温度差まで全部映ってしまったことが、この事故を”伝説の放送事故”にしてしまったのかもしれませんね。
個人的には、笑ってしまった側を責める気にはなれません。
生放送で「まさか本当に落ちた」とは、誰も想像できなかったはずですから。
菊間千乃の事故の原因は?命綱はソファーに結ばれていた
では、なぜこんな事故が起きてしまったのでしょうか。
後に指摘された原因は、驚くほど単純なもの。
本来は柱のような頑丈な場所に結ぶべき命綱のロープが、部屋にあった軽いソファーにくくりつけられていたと言われています。
体重がかかった瞬間、ソファーごと引っ張られてロープが役目を果たさなかった、ということのようです。
さらに、落下地点に敷かれていたマットはウレタン素材で硬く、衝撃を十分に吸収できなかったことも重なったそうです。
週刊アサヒ芸能の特集では、事前にスタッフで試していれば防げたのでは、という声も紹介されていたとか。
「防災」を伝えるコーナーで、防災のいちばん基本的な確認が抜け落ちていたのは、なんとも皮肉な話。
安全のためのリポートで大ケガを負うなんて、菊間さん本人がいちばん納得できなかったのではないでしょうか。
事故のケガと後遺症は?上半身13本の骨折から「奇跡」の回復
菊間千乃さんが負ったのは、腰椎の圧迫骨折をはじめとする大ケガでした。
2021年10月に『徹子の部屋』へ出演した際、菊間さんは当時をこう振り返っています。
「5階から13メートル落ちて。上半身の骨を13本折ったんです」「気付いた時はICU(集中治療室)の中で、マスクを外して目が覚める……みたいな」と語ったそうです(MANTANWEBより)。
診断は全治3カ月で、そこから長いリハビリ生活が始まったんだそうです。
医師からは「ビルの3階がデッドライン」と言われ、後遺症がゼロなのは見てきた患者の中で初めてとまで言われたんだとか。

看病してくれたのはお母さまで、入院中は涙が絶えない壮絶な日々だったようです。
それでも翌1999年には番組に復帰していますから、回復への執念はかなりのものだったはず。
「奇跡」という言葉は大げさに聞こえがちですが、この数字を見るとさすがに納得してしまいますね。
事故が菊間千乃を弁護士へ向かわせた理由
事故の話がここで終わらないのが、菊間千乃さんという人の面白いところなんですよね。
菊間さんは後に司法試験に合格して弁護士になりますが、その背中を押したのが、この事故だったと本人が語っています。
「当たり前のように明日はこない」
菊間さんは入社当時から「アナウンサーをしながら司法試験に挑戦したい」と会社に伝えていたそうです。
ただ、その気持ちを本気の行動に変えたのが事故の経験でした。
『徹子の部屋』では、事故によって「当たり前のように明日はこない」「無駄な時間を過ごしていてはいけない」という思いが一層強くなったと明かしています。
そして極めつけが、この言葉。
「私は26歳で死んだと思っていて。そこから先の人生は神様から『もうちょっとあなたは世の中のためにできることがあるんじゃない』と与えられた時間だと思っています」と語っています(MANTANWEBより)。
事故から7年後の2005年、菊間さんは仕事と並行して夜間のロースクールに通い始め、2010年に司法試験に合格しました。
「死んだと思っている」と笑って言える人は、たぶん時間の使い方が根本から違うんでしょうね。
28年後の「ほぼ30年ぶりの入院」
2026年4月、菊間さんは虫垂炎で緊急手術を受け、レギュラー出演中の『羽鳥慎一モーニングショー』を休むことに。
インスタグラムでは、入院について「ほぼ30年ぶりの入院、人生初手術」とつづっていたそうです。

「ほぼ30年ぶり」というのは、もちろん1998年の事故以来という意味。
ファンからは「あの落ちた時以来の入院ですね」といった声も寄せられていたみたいです。
あれほどの大事故でも手術はしていなかったというのは、改めて驚きですよね。
私はこの一文に、事故を悲劇として語り続けるのではなく、軽く触れられるくらいには自分の中で消化している強さを感じました。
菊間さんにとって事故は、もう”持ちネタ”に近い距離感なのかもしれません。
菊間千乃さんの結婚についての記事と、菊間千乃さんの弁護士転身についての記事も書いています!ぜひご覧ください↓


まとめ
菊間千乃さんの事故について、あらためて振り返ってみました。
1998年9月、『めざましテレビ』の生放送中に避難器具のリポートでマンション5階から転落。
命綱が軽いソファーに結ばれていたことなどが原因とされ、上半身13本の骨折という大ケガに。
それでも後遺症は残らず、医師に「奇跡」と言われるほどの回復を遂げています。
そして本人は、あの日を「26歳で死んだ」と捉え直し、残りの人生を弁護士として世の中の役に立てる時間に変えていきました。
検索すれば”放送事故”として出てくる出来事が、本人の中では”人生の再スタート”になっているところに、菊間さんらしいたくましさを感じます。
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