「朝の顔」と呼ばれ続けた女性アナウンサーが、2010年8月23日、突然「めざましテレビ」からの卒業を発表しました。
しかも、卒業するのは番組だけではなく、そのままフジテレビまで辞めてしまうというのです。
公式に語られた理由は「朝日を浴びて目を覚ます生活を送りたい」という、穏やかすぎるほど穏やかな一言でした。
ところが、本当の理由が本人の口から明かされたのは、13年も後のことでした。
「ニュースを読んでいても針を刺すような痛み」——視聴者の誰も気づかない戦いが、あの笑顔の裏側で続いていたようです。
本日の記事では高島彩さんの「めざましテレビ」卒業の理由について調べてまとめてみました。
この記事を読めば、下記の内容について、知ることが出来ます。
- 「めざまし=フジテレビ」と言い切った、卒業&退社の決断の裏側とは?
- 13年間、誰にも言わなかった”針を刺すような痛み”の正体
- 涙の最終回でこぼれた「逃げ出したいこともありました」の本音
それでは、どうぞ!


入社3年目、24歳で「めざましテレビ」の顔に抜擢された高島彩
高島彩さんは1979年2月18日生まれ、東京都世田谷区の出身です。
父は俳優の竜崎勝さんで、高島さんが5歳のときに亡くなったといいます。
成蹊小学校から成蹊大学法学部まで進んだ、絵に描いたような”お嬢様コース”を歩んできた方です。
面白いのは就職活動のエピソードで、テレビ朝日の最終面接を終えた帰り道にフジテレビから内定の電話が入ったと伝えられています。
テレビ朝日の結果は待たずに、フジテレビ行きを選んだとか。
2001年4月にフジテレビへ入社すると、入社1年目の10月には自分の名前を冠したトーク番組「アヤパン」がスタートしたんですね。
「アヤパン」という愛称が広まったのは、この番組がきっかけだったそうです。

初日は「めざましファミリーに嫁入りする気持ち」
そして入社3年目の2003年3月31日、高島さんは「めざましテレビ」の初日を迎えます。
ORICON NEWSによると、この日のオープニングで意気込みを語った言葉が「めざましファミリーに嫁入りする気持ち」でした。
当時はまだ24歳、アナウンサー3年目という若さで朝の看板番組を任されたことになります。
その”嫁入り先”を7年半後に自分から出ていくことになるとは、当時の本人も想像していなかったのかもしれませんね。
5連覇・殿堂入り…数字で見る”アヤパン”人気
高島さんが総合司会を務めた期間、番組は同時間帯の月間・年間視聴率で番組史上初の1位を記録したとされています。
オリコン調べの「好きな女性アナウンサーランキング」は2005年にスタートし、高島さんは第1回から5連覇して殿堂入りを果たしたのだとか。
2009年9月には、中野美奈子アナとの企画ユニット「Early Morning」で「かみさまでもえらべない」を発売しています。
槇原敬之さんが作詞作曲したこの曲は、オリコン週間4位となり、アナウンサーとして史上初のトップテン入りという記録を作ったようです。
朝の顔でありながら、CDまで大ヒットさせてしまうのですから、まさにマルチな活躍ぶりです。
こうして数字だけを並べると、順風満帆という言葉しか浮かんできません。
だからこそ、次に訪れる発表は、多くの人にとって青天の霹靂だったのだと思います。
2010年8月23日、突然の「卒業&退社」発表…公式コメントは”すがすがしい”
発表があったのは2010年8月23日、高島さんは31歳でした。
「めざましテレビ」は9月いっぱいで卒業し、フジテレビも年内で退社するという内容です。
公式コメントには、思わず二度見してしまうような一文が入っていました。
私にとって「めざましテレビ」=フジテレビだったため、番組を辞めてフジテレビに残るという選択肢はありませんでした(MANTANWEBより)
つまり、「めざましを辞める」=「フジテレビを辞める」以外の道は、最初から存在しなかったということです。
社員のまま別の番組へ移る、という選択肢すら思い浮かばないほど、番組と会社が一体だったのでしょう。
同じコメントの中で、高島さんは「少しゆっくりと、朝日を浴びて目を覚ます生活を送りながら、自分自身を見つめなおしたい」とも綴っていたんですね。
さらに「心に決めた今はすがすがしい思いでいっぱいです」という一文まであり、深刻さはまったく感じられません。
翌24日の生放送では「私事で大変恐縮なんですけれども」と切り出し、改めて視聴者に直接報告したそうです。
共演の大塚範一キャスターは「衝撃が走りました…」と、驚きを隠せない様子でした。
その大塚さんが最終回で明かしたところによると、高島さんが決意を打ち明けたのは7月末のことだったとか。
発表のわずか3週間ほど前という、かなりギリギリのタイミングだったんですね。
ここまでの説明だけを読むと、”充電のための前向きな卒業”という印象を受けますよね。
ただ、最終回の放送を見ると、そのイメージが少しずつ変わってきます。
涙の最終回で明かした本音…「逃げ出したいこともありました」
2010年10月1日、高島さんは7年半、計1877回の出演を終えて「めざましテレビ」を卒業しました。
女性キャスターとしては歴代最長の在任期間だったそうです。
放送では7年半の軌跡がVTRで紹介され、初日の映像やアテネ五輪で聖火ランナーを務めた場面なども流れました。
SMAPからのコメントも届き、稲垣吾郎さんは「朝日のような存在」と、朝の顔だった高島さんを表現していたそうです。
5人合わせて28回も番組に出演していたというのですから、強い信頼関係があったのでしょう。
大塚範一さんは涙で言葉を詰まらせながら「あなたは放送界の宝」と呼びかけました。
さらに続けた「結婚式でスピーチをさせてください」という一言には、思わず胸が熱くなります。
この時点ではまだ、結婚の発表はありません。
二人の結婚が発表されるのは、約1年後のことになります。

「7年半前に受け取ったバトンは重すぎて」
ただ、高島さんが最終回で語ったのは、感謝の言葉だけではありませんでした。
「7年半前に受け取ったバトンは重すぎて、逃げ出したいこともありました」と、本音をのぞかせたのです。
続けて「父は亡くなってますが、めざましテレビは家族のような存在でした」と、幼くして亡くした父にも触れながら涙で語ったとか。
華やかな数字の裏側で、逃げ出したくなるほどの重さを抱えていたのですね。
視聴者が見ていたのは、その重さをおくびにも出さない、いつもの明るい笑顔だったのだと思います。
後任は生野陽子アナ、そして12月末に退社
10月4日から新しいメインキャスターを務めたのは、生野陽子アナ(当時26歳)でした。
花束を受け取った高島さんは「卒業してもめざましファミリーでいたい」と語ったそうです。
12月30日には特番「高島彩卒業SP」が放送され、翌31日にフジテレビを退社。
年が明けた2011年1月1日には、フォニックスへ移籍してフリーアナウンサーとしての一歩を踏み出したんですね。
ここで、”フジテレビの高島彩”としての時間に、区切りがついたことになります。
13年後に明かされた本当の理由は?「ボクらの時代」で語った帯状疱疹と乾癬
その本当の理由が語られたのは、2024年1月7日放送のフジテレビ系「ボクらの時代」でした。
共演は、同じ「めざまし」で長く一緒に働いた中野美奈子さんと、現在のメインキャスター・井上清華アナウンサーです。
番組30周年の企画として、新旧の「めざまし」アナウンサーが晴れ着姿で語り合う回でした。
この場で高島さんは、卒業を決めたきっかけを初めて具体的に口にしたのです。

「針を刺すような痛み」帯状疱疹の恐怖
高島さんが「決定的に『ああもうダメかも』って思った」と振り返るのが、帯状疱疹が出たときのことでした。
「ニュースを読んでいても針を刺すような痛み」がして、いつ来るか分からないその痛みと、緊張感の両方に体が悲鳴を上げた、と語ったそうです。
生放送は、痛みが引くのを待ってはくれません。
原稿を読んでいる最中に痛みが襲ってきても、笑顔でニュースを届け続けなければならなかったのです。
帯状疱疹は、疲れやストレスで免疫力が落ちたときに出やすいとされる病気です。
7年半、毎朝早くから生放送に立ち続けた体が、限界のサインを出していたということでしょうか。
乾癬も…”体が表してくれたから、ちょっと助かった”
さらに高島さんは、乾癬という皮膚の病気にも悩まされていたと明かしました。
「皮膚に赤い湿疹ができて、皮がむけていっちゃう」と、視聴者にも分かるように症状を説明する一幕もあったようです。
一方で、退社についての気持ちは意外なほど正直でした。
心の中では「できるかな、どうかな」と迷っていたところに、体が症状として表してくれたから「ちょっと助かった」というのです。
しかも「人にも言いやすくて」と続けています。
この一言に、私はいちばん胸をつかまれました。
体の不調が”辞めると言い出しやすい理由”になるほど、辞めるという選択が重かったということなのだと思います。
2010年の発表コメントが「朝日を浴びて目を覚ます生活」という穏やかな言葉だったのも、視聴者を心配させたくない気持ちの表れだったのではないでしょうか。
同席した中野美奈子さんは「彩さんはあんまり悩みとかをしゃべらない」と話していたとか。
さらに「今日は十年越しぐらいに知ることもあった」と、この告白に驚いた様子でした。
中野さんは「彩さんがいなかったら続けられなかった」とも語っていて、苦しい時期の支え合いが伝わってくるようです。
高島さんは収録後のコメントで「時代を超えても、めざましテレビを担当している20代後半のアナウンサーが抱える悩みは同じ」と感じたそうです。
井上清華アナが今まさに同じ立場にいるからこそ、高島さんは”母のような気持ち”で話せたのかもしれませんね。
卒業の本当の理由は、笑顔の裏で体が出していたSOSでした。
卒業後の高島彩は?フリー転身から「サタデーステーション」のメインキャスターへ
フリーになった高島さんは、2011年10月に結婚し、2014年2月に長女、2016年6月に次女を出産しました。
2015年10月には「徹子の部屋」に出演し、フジテレビ以外の民放地上波に初登場したことも話題になったんですよね。
そして2017年4月22日からは、テレビ朝日「サタデーステーション」のメインキャスターを務めているんですね。
冒頭のエピソードを思い出すと、なんだか不思議な巡り合わせですよね。
テレビ朝日の最終面接の帰り道にフジテレビから内定をもらった高島さんが、約16年後にテレビ朝日の報道番組の顔になっているのですから。
朝の元気な顔から、落ち着いた報道番組の顔へ。
帯状疱疹や乾癬のその後について、詳しい経過は明らかにされていません。
それでも、2025年10月にはInstagramで娘さんたちの運動会のお弁当を手作りしたと報告するなど、仕事と家庭の両方で変わらず前を向いている様子がうかがえます。
私生活では、2026年3月に長女の小学校卒業も報告していました。
高島彩さんの結婚の記事と、離婚の噂の記事も書いています!ぜひご覧ください↓


まとめ
高島彩さんが「めざましテレビ」を卒業した表向きの理由は、「朝日を浴びて目を覚ます生活」でした。
けれど13年後の「ボクらの時代」で、本当の理由が帯状疱疹と乾癬という体からのサインだったと分かりました。
「めざまし=フジテレビ」と言い切るほど全力で走った7年半の重さを、心より先に体が受け止めてしまったのですね。
最終回で語った「逃げ出したいこともありました」という言葉も、今読み返すとまったく違う響きに聞こえてきます。
私たちは、あの笑顔の下にあったものを、ずっと想像するしかなかったのだと思います。
卒業から16年が過ぎた今も、高島さんは第一線でキャスターとして活躍を続けています。
体を守るための卒業だったからこそ、今の高島さんがいるのかもしれません。
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